李徳懋(読み)りとくぼう(その他表記)(R)I Tǒng-mu

改訂新版 世界大百科事典 「李徳懋」の意味・わかりやすい解説

李徳懋 (りとくぼう)
(R)I Tǒng-mu
生没年:1741-93

朝鮮,李朝後期の学者,文臣。字は懋官,号は炯庵,雅亭,青荘館など。全州の人。1778年に燕行使に随行して北京に赴き,帰国後《燕記》を著し朴斉家,朴趾源らとともに実学における北学派を形成した。庶子(妾腹の子)であったために政界での地位は制約されたが,その才を国王正祖に認められて,朴斉家,柳得恭,徐理修とともに奎章閣(けいしようかく)の検書官に登用された。主著に《青荘館全書》71巻がある。実学派の最後を飾る学者の一人李圭景(1788-?)は孫である。
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