デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「李是応」の解説
李是応 イ-ハウン
純祖20年12月21日生まれ。次男(高宗(コジヨン))が12歳で王位につくと,興宣大院君となって摂政として実権をふるう。高宗の妃閔(ミン)氏の一族との政争で失脚,壬午(じんご)事変をおこしたが失敗し清(しん)(中国)軍に幽閉された。のち閔妃が暗殺されたあと日本軍の後押しで政権にかかわったが,まもなく隠退した。1898年(光武2)2月22日死去。79歳。号は石坡。
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新