江戸時代の村落内部の対立,闘争。村方出入(でいり),小前(こまえ)騒動ともいう。江戸時代の村落は,前後の時代と比べると小農の比率が高く,比較的に均一な印象を与えるが,実際には上下の階層差が小さくなかった。村落の成員はほとんど百姓身分の農民だったが,初期には百姓以下の名子(なご),前地(まえち),被官(ひかん)などと呼ばれる隷属身分の下層農民がかなり存在した。また百姓身分であっても,家格によって家宅の構造や衣類の種類や婚姻,葬儀の形式などの区別が強いられていた。さらに近世の支配は村請(むらうけ)年貢制度を採用し,有力農民を村役人に任命して年貢徴収にあたらせ,その手当として百姓の使役権を認めたり,負担量を特別に減じたりしたため,かえって階層差を固定させることになった。また村請制は領主が村高に対して一括賦課し,個々の百姓に対しては村役人が惣百姓立会いのもとで家数や持高に応じて割り当て,それを村役人が徴収し上納するという方法だったが,実際には惣百姓を立ち会わせなかったり,不公平な割当てを行うこともあり,村役人の恣意が働きやすく不正が生まれやすい制度であった。
このような事情から,近世村落の成立過程で初期村方騒動が数多く起こり,それを通じて,小農が中心となる近世村落が形成されていった。隷属身分の下層農民は,主家に提供する賦役の日数の限定や菩提寺の分離や独立の家宅普請,身分変更などをめぐって,個別的にまた村中をまきこんで争ったりした。隷属身分の農民はしだいに減少するが,地域によっては長く残り,彼らの身分解放闘争はのちのちまで現れる。また小百姓は村役人の特権や恣意の限定をめざして争ったり,村役人の不正ではないが上層農民が有利になる軒割(のきわり)賦課に反対し,負担を持高割(もちだかわり)にすることを求めたりした。これらはすべて小農自立闘争としての意義をもった。村請制に随伴する年貢徴収の過程での村役人の不正と私欲,横領,村政の横暴さに対する村方惣百姓の闘争はどの時期でも起こった。これらは村政改革(民主化)闘争と評価されているが,ふつう小前百姓連判の訴状を領主に提出して,村役人の不正,非法を告発するという方法がとられた。領主は多くの場合,説諭ののち仲裁人を入れて示談のかたちで終息させるほうを選んだ。中・後期になると,新しい経済動向を反映した質地騒動,小作騒動なども加わって,村役人や上層農民の非分を追及する村方騒動はいよいよ増大した。小前百姓の伸張にともない,衣服や家宅の不公平な規制に反発する騒動も増える。新興の勢力が小前百姓の先頭に立ち,村役人交代を迫る村方騒動を起こすことも少なくなかった。百姓一揆のなかには,村方騒動の内容である村役人の任期や不正を要求条項のなかに掲げるものがあり,また一揆の後に村方騒動が広がることもあった。豪農商に対する激しい打毀(うちこわし)である世直しの基礎にはたいてい村方騒動があり,打毀に連動して村方騒動が急速に波及していくことが多かった。なお近世村落には,村役人や地主,豪農などに対する村方騒動と同じ対抗関係ではないが,一村の内部あるいは村と村との間で山や水や地境などをめぐって山論,水論など種々の争論が発生しており,階層間の対立とあわせて数多くの村方出入が起こった。百姓一揆を経験しない村はあっても,村方騒動を経験しない村はほとんどなかったのである。
執筆者:深谷 克己
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江戸時代の村役人に対する小前(こまえ)百姓たちの不正糾弾(きっうだん)闘争。小前騒動、村方出入(でいり)ともよぶ。村請制(むらうけせい)下の近世村落では、村役人に広範な徴租・統治機能が付与されており、村役人が不正を働かしうる余地が存在したので、小前百姓らがその不正を摘発し、糾弾する村方騒動が多数発生した。青木虹二(こうじ)編『百姓一揆(いっき)総合年表』には、全国各地で3000余件の事件が確認されているが、実際にはさらに多数の事件が存在したものと推定される。小前百姓たちの要求は、年貢・村入用の勘定不正をはじめとして、普請(ふしん)・助郷役(すけごうやく)などの人足割付(にんそくわりつけ)、田畑の横領、入会地(いりあいち)などの不正使用、家格問題、小作年貢問題などの村人の生活上多岐にわたって展開し、村役人の退役を求め、跡役の入札(いれふだ)(選挙)制などを要求することもある。通常の騒動は、小前が訴願し、村役人の返答書が作成され、役所での吟味は受けるが、周辺村落の村役人や寺院などが扱人となり、内済(ないさい)が成立して解決するものが多いが、後期に至ると幕府や藩に越訴(おっそ)するものや、打毀(うちこわし)へ発展するものもみられる。初期の騒動は、土豪の系譜を引く村役人の諸特権に対して展開し、寛文(かんぶん)期(1661~73)ころから年貢・諸役の面割(めんわり)から高割(たかわり)への変化要求が顕著にみられる。中期以降は、発生件数が著しく増加するとともに、質地関係の進展に伴い小作騒動的要素が強まってくる。
[保坂 智]
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小前騒動・村方出入とも。近世の村落共同体で,村役人層の不正に対する一般百姓の追及運動。幕藩権力は兵農分離制の下で年貢村請制をとり,村役人に年貢徴収・納入の責任を負わせた。このため村役人層は支配の末端に位置づけられることになり,一般百姓とは本質的に対立する関係にたつことになった。村方騒動は,村役人の年貢の割付・徴収をめぐる過程での不正や村政執行上の不正に対する糾弾のかたちをとったが,近世中期以降は,地主小作関係・高利貸借関係なども対立の原因となって,村方騒動をより複雑なものにした。騒動は幕府や藩への訴訟により表面化し,内容によっては示談で解決することが多かったが,ときには強訴(ごうそ)などの非合法形態をとることもあった。
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…社会的には,村落共同体の代表者として共同体的規制関係の頂点にあるとともに,村役人として農民支配の末端機構に組み込まれて階級的強制関係の先端に位置づけられていた。これらの豪農には,それまでの名田地主・作徳地主が転化したものと,商業活動や商品生産によって成長してきたものとの二つの系譜があり,後者は多くの場合,村方騒動によって村方地主としての地位を獲得していった。この村方騒動は中期村方騒動と呼ばれ,18世紀半ばころに各地に起こった。…
※「村方騒動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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