杣山庄(読み)そまやまのしよう

日本歴史地名大系 「杣山庄」の解説

杣山庄
そまやまのしよう

日野川右岸の鋳物師いものし上野うえの堂宮どうみや金粕かなかす阿久和あくわ中小屋なかごや付近に比定される高倉天皇妃七条院(藤原殖子)領の荘園。立荘の時期は不詳であるが、安貞二年(一二二八)八月五日付の七条院処分目録案(東寺百合文書)に、「越前国杣山庄」とみえ、七条院から、後鳥羽天皇妃修明門院に伝領されている。その後、旧七条院領二一ヵ所は四辻親王善成に譲られ、さらに弘安三年(一二八〇)後宇多天皇に譲られ、次いで正応二年(一二八九)その余の一七ヵ所も後宇多上皇に伝えられた。杣山庄は、「勘仲記」弘安六年二月二六日条に「准后御領」としてみえているから、その余の一七ヵ所の内にあったようである。

室町時代には、中御門家に伝領されていたようで、中御門宣胤の日記「宣胤卿記」文亀元年(一五〇一)一一月一六日条に「下使者於越前、杣山庄年貢事、申遣朝倉孫次郎貞景、毎年之儀也」、同二年二月一〇日条に「知行分杣山庄分三千疋乱以前請切万四千疋也到来」、同四年二月二〇日条に「家領杣山庄分三千疋以上未進定割符也」と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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