杭州(読み)コウシュウ

デジタル大辞泉 「杭州」の意味・読み・例文・類語

こうしゅう〔カウシウ〕【杭州】

中国浙江せっこうの省都。銭塘せんとうの河口にあり、茶・絹の集散地南宋の都、臨安の地。郊外に景勝地西湖がある。人口、行政区245万(2000)。ハンチョウ

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精選版 日本国語大辞典 「杭州」の意味・読み・例文・類語

こうしゅうカウシウ【杭州】

  1. 中国浙江省の省都。省北部、銭塘江の河口に位置する。隋代に州が置かれてから港町として発展。五代の呉・越の都、南宋の行在(あんざい)府(臨安)となり、六大古都の一つに数えられる。現在は米、生糸、茶などの集散地。西郊の西湖は風光明媚(めいび)で知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「杭州」の意味・わかりやすい解説

杭州
こうしゅう / ハンチョウ

中国、浙江(せっこう)省北部にある副省級市(省と同程度の自主権を与えられた地級市)。同省の省都で、1927年に市となった。旧称は臨安(りんあん)、銭塘(せんとう)。北京(ペキン)、西安(せいあん)などと並んで六大古都に数えられる。銭塘江の下流域、大運河の南端に位置し、余杭(よこう)、富陽(ふよう)など10市轄区と2県を管轄し、建徳(けんとく)市の管轄代行を行う(2018年時点)。人口753万9000、市轄区人口615万2000(2017)。

 年平均気温は17.0℃、年降水量は1100~1600ミリメートル。狭山(さやま)市、上尾市、福井市、浜松市、岐阜市、向日(むこう)市、松江市と姉妹都市提携を結ぶ。また岩国市とは、同名の歴史的な橋があることから、2004年に錦帯橋(きんたいきょう)友好橋提携を結んだ。

[周 俊 2018年3月19日]

歴史

秦(しん)、漢以来銭塘県として登場するが、初めは地方都市にすぎなかった。隋(ずい)が大運河を開いてその終点となり、一躍杭州という地域都市になった。杭州から北は上塘河、下塘河という運河で蘇州(そしゅう)方面に達し、銭塘江を経て南は浙江、江西(こうせい)、福建(ふっけん)に通じ、浙東河(せっとうが)を東進すれば海港寧波(ニンポー)で海洋船により日本、朝鮮、東南海岸、東南アジアと結ばれた。南宋(なんそう)は杭州を国都臨安(行在(あんざい))と定め、人口は100万を超え、絹織物、漆器、陶磁器を産した。都市生活や文化の繁栄は日本僧の成尋(じょうじん)やマルコ・ポーロ、イブン・バットゥータなどが記録し、ポーロは『東方見聞録』で世界でもっとも優美な都市と絶賛している。郊外の西湖(せいこ)は白楽天(はくらくてん)(白居易(はくきょい))、蘇東坡(そとうば)(蘇軾(そしょく))らの地方官が堤をつくったもので景勝に富む。

 元代でも大都会であり、明(みん)、清(しん)では省都であり、絹織物で栄えたが、上海(シャンハイ)が急成長して商業は衰え、開港場となったのは下関(しものせき)条約以後である。

斯波義信 2018年3月19日]

産業・交通

かつては上海の発展により経済は衰退し消費都市であったが、中華人民共和国成立後、絹織物工業が急速に発展し、冶金、化学、ゴム、電子、精密機械、製紙など各種工業も新たにおこった。改革開放以降は、軽工業や電子部品、金融などの産業を中心に経済成長が著しい。外資誘致のため、優遇措置を受けられる杭州経済技術開発区、蕭山(しょうざん)経済技術開発区、余杭経済技術開発区、富陽経済技術開発区などが設置され、パナソニックなど、日本企業も数多く進出している。電子商取引大手アリババの本拠地としても有名。伝統工業としては錦織(にしきおり)、絹張り傘、白檀扇子(びゃくだんせんす)、鋏(はさみ)などが知られる。周囲の農村では水稲のほか、野菜、ジュートコウマ)、茶の生産が多く、養蚕業も盛んで、とくに竜井(ロンチン)茶は世界的に有名である。

 滬昆(ここん)線(上海―昆明(こんめい))、杭甬(こうよう)線(杭州―寧波)、宣杭線(宣城(せんじょう)―杭州)などが通じるほか、滬杭高速鉄道(上海―杭州)、寧杭高速鉄道(南京(ナンキン)―杭州)、杭甬高速鉄道、杭長旅客専用線(杭州―長沙(ちょうさ))などの高速鉄道も開通した。2012年には地下鉄が開業し、公共のレンタサイクル拠点の整備も進んでいる。港は水深が浅いため外航商船は停泊できず、沿岸や河川、運河を通う小汽船が寄港するにすぎない。市街近郊には2000年開港の杭州蕭山国際空港があり、国内主要都市のほか、東京、大阪、ソウル、シンガポールなどとも結ばれる。

[林 和生・編集部 2018年3月19日]

文化・観光

市西部にある西湖は、2011年に「杭州西湖の文化的景観」として世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)に登録され、中国有数の景勝地として内外の観光客でにぎわう。北岸の堤には錦帯橋が架かり、南岸には、民間伝説『白蛇伝』の舞台として著名な雷峰塔がある。西湖の西に広がる山々は以前武林山と総称されていたので、杭州は武林ともよばれる。その山麓には、禅宗五山の霊隠寺(りんにんじ)、浄慈寺(じんずじ)がある。霊隠寺は、かつて空海(くうかい)が参拝したと伝えられ、2002年日中国交正常化30周年を記念して空海の像が建立された。市郊外には、径山寺(きんざんじ)みそで知られる禅宗五山の径山寺がある。

[周 俊 2018年3月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「杭州」の意味・わかりやすい解説

杭州 (こうしゅう)
Háng zhōu

中国,浙江省の省直轄市,省都。人口245万(2000)。銭塘江の左岸,杭州湾頭にあり,西は風光明媚な西湖に接し,南に呉山,鳳凰山,玉皇山が連なる。北に向かう江南大運河の起点でもある。北西郊には良渚(りようしよ)文化の遺跡が知られるが,この地に銭塘県が置かれたのは秦代の前222年で,前210年には始皇帝も巡行している。ただこのころは,県は西方霊隠山の麓にあり,現在の市域や西湖は,銭塘江と海水に洗われていたと考えられる。やがて上流からの土砂と,江口の大潮に運ばれた土砂が堆積し,5世紀の終りには銭塘県治も現在の呉山麓にうつった。隋は陳がここに置いた銭塘郡を杭州に改め,周囲36里の城壁を築き,江南大運河の起点とした。杭州湾は浅く,大きな海洋船は直接杭州に入港できなかったが,寧波(ニンポー),紹興(越州)から運河で杭州に達し,改めて大運河で北に向かう交通路が定着すると,アラビア人をはじめ,日本,朝鮮半島からの使者たちも頻繁に訪れ,商業中継基地として発達した。

 907年(天祐4),呉越国の銭鏐(せんりゆう)は,南郊の丘陵まで含んだ周囲70里の城壁を築き,国都としてさらに発展につとめた。揚子江デルタ地帯の農業生産力の飛躍的増大,銭塘江流域,安徽省方面の産業の発達,杭州周辺の絹織物生産の開発などが相乗し,宋代に入ると杭州は江南最大の都市に成長した。また唐代の白居易(楽天),北宋の蘇軾(そしよく)(東坡)のように著名な文人知事によって西湖の灌漑水利,運河の整備などがすすめられた。彼らはまた鶴と梅を友とする高逸の詩人として日本にも知られる林逋(りんぽ)(和靖)(967-1028)らとともに杭州と西湖を詩に詠み,人々の口に伝えられた。1127年(建炎1)女真族の金に国都開封を追われた宋の支配階級は高宗趙構をいただき江南に逃れ,建康(現,南京)か杭州か紆余曲折の末,1138年(紹興8)ここを行在所と定めた。これよりさき1129年に杭州は臨安府と改称されていた。マルコ・ポーロらによってキンザイと呼ばれるのは行在の音字である。しかし実際には以後150年の南宋の国都として,〈天上天堂,地下蘇杭〉という言葉ができるなど,開封にも増した繁栄をみることになる。

 南宋の杭州では,城南鳳凰山の東面に周囲4kmの小さな宮城を設け,そこから北,呉山にかけて主要官庁を置く。それより北,武林門に至るまで御街と呼ぶ大街と,塩橋運河,小市河の2本の運河に沿って市街が広がり,また南東銭塘江沿いにも商区がのびた。城内の主要交通は上記2本の運河のほかに西湖の水をひく清流の清湖河があったが,すでに飽和状態で,東の城壁に沿い銭塘江と大運河を結ぶ菜市河(さいしが)が広く利用された。城壁には13の門と5水門があけられ,8廂(しよう)68坊に区画,人口は城内と周囲の市域をあわせて100万以上120万程度と推定される。その繁栄のありさまは,呉自牧の《夢粱(むりよう)録》をはじめとした繁盛記で詳しく知りうる。とくに各城門の周囲に,米,魚介,野菜などをはじめとした特定商品市場(団,行)ができて人が集まり,そこに娯楽街(瓦市)が常設されている点は開封にみられぬ景観であった。また御街の南部には各種商店,飲食店が軒をならべ,その背後には皇族,有力官僚,商人が屋敷を構えた。元代ここを訪れたイブン・バットゥータが記録するように10万を超す軍隊,手工業者,小商人,官庁などで居住区が分かれる傾向もみられる。呉越国以来の仏教隆盛をうけついで,南宋時代には城内外あわせて350の寺院があり西湖の南北の丘陵に立つ保俶(ほしゆく),雷峯(らいほう)二塔をはじめ,風光に花を添えた。マルコ・ポーロら元代杭州を見た外国人たちは驚異のまなざしで当時の世界最大の100万都市のことを書きとどめている。元末の反乱でここに拠った張士誠は,1359年(至正19),城壁を東に拡張して全周約18kmとし,これが民国まで続く。明・清時代から現在に至るまで,杭州府(杭県・杭州市)は浙江省の省都として,政治,経済,文化の中心となり,中国屈指の大都市としての位置を保持している。

 文化的にみても,すでに南宋時代,出版文化の中心となり,中国で最も美しいといわれる西湖に多くの文人を集め,詩賦,絵画の題材を提供した。白堤,蘇堤,西湖十景など,現在に続く観光の名所は,すでに宋代に作られていた。西湖北端の小島孤山には清代四庫全書館の一つ文瀾閣,呉昌碩(ごしようせき)が主宰した西冷印社などもここに置かれ,現在では浙江省博物院や大ホテルが建てられている。観光地としてはほかに南宋の忠臣岳飛の廟や,霊隠寺,五代から元代に至る数多くの磨崖仏などがある。また市の南西丘陵部の竜井は茶の産地としてきこえるほか,1960年には伝統的な絹織物産業の中心として杭州糸綢印染連合庁が置かれ,織綿庁とともに活動している。なお,現在では城壁は撤去され,城内運河も機能を喪失して大半が埋め立てられた。市域も道路整備が進み,北西部の解放路,延安路が交通の中心となり,大運河の起点である武林門一帯にも新市街がひらけている。上海から浙江省南部,江西省に向かう滬杭(ここう),浙贛(せつかん)線上にあり,紹興,寧波にはここから支線が分かれる。中国第一の観光地であるほか,各種保養施設も西湖周辺に数多く置かれている。
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百科事典マイペディア 「杭州」の意味・わかりやすい解説

杭州【こうしゅう】

中国,浙江省の省都。旧名臨安。銭塘江(せんとうこう)河口にあって,大運河の南の終点をなす。交通至便の地であることによって,古来,アラビア半島,日本,朝鮮半島などから使者や交易商人が往来し,商業中継地として栄え,江南・揚子江デルタ地帯の農業発展もあって,南宋・元・明・清時代を通じて中国屈指の大都市として発展した。南宋時代には首都として臨安府が置かれ,中国出版文化の中心として,その風光とともに多くの文人を集めた。元代の繁栄ぶりはマルコ・ポーロの《東方見聞録》にも記されている。近代に入っても,滬杭(ここう)・浙【かん】(せっかん)両鉄路の連絡点に当たることから,その発展は引き継がれた。付近に産する米,茶,絹織物を集散し,市中には傘,扇など手工芸品を産する。近年電機・製糸・セメント工業などが興っている。また浙江省の文化の中心地でもあり,杭州大学,浙江大学,浙江農業大学,浙江医科大学などの教育機関がある。市の西部の西湖(せいこ)(武林水,銭湖,石函湖などの別称が多い)は周囲15km,名勝地として名高い。人口513万人(2014)。
→関連項目市舶司浙江[省]浙江大学飛来峰臨安

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「杭州」の解説

杭州(こうしゅう)
Hangzhou

中国浙江(せっこう)省の省都。銭塘江(せんとうこう)下流,大運河南端の水陸交通の要地。中国中部有数の大都会。もとの銭塘県治。南北朝の江南開発で発展し,五代呉越(ごえつ)の都となり,南宋の首都として行在(あんざい)(キンザイ)と呼ばれて繁栄の極に達した。その後,絹織業など商工都市としては蘇州に次ぐ地位を占め,運河網の中心都市として長く栄えた。南朝以来の風光,仏跡に富む。

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旺文社世界史事典 三訂版 「杭州」の解説

杭州
こうしゅう
Hǎngzhōu

中国中東部,浙江 (せつこう) 省の省都・港市
銭塘 (チエンタン) 江下流の北岸に位置し,すでに秦・漢代からこの地方の中心地であった。隋代以来,大運河の終点となって繁栄し,五代には呉越の首都が置かれたが,南宋もここに都して臨安または行在 (あんざい) (かりの都の意)と呼ばれ,人口200万に達した。広州,泉州と並ぶ重要港市として外国人居住者も多く,マルコ=ポーロは「キンザイ」と記し,世界最大の都と賞賛している。明以後は工業都市となった。

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世界大百科事典(旧版)内の杭州の言及

【夢粱録】より

…中国,南宋の都臨安(杭州)の都市繁盛記。20巻。…

※「杭州」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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