精選版 日本国語大辞典 「東久世通禧」の意味・読み・例文・類語
ひがしくぜ‐みちとみ【東久世通禧】
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幕末・明治前期の公家(くげ)、政治家、外交官。天保(てんぽう)4年11月22日生まれ。竹亭などと号す。1842年(天保13)童形のまま東宮(とうぐう)出仕、以後もつねに側近として孝明(こうめい)天皇に近侍した。1863年(文久3)2月学習院出仕、国事参政となり、尊攘派(そんじょうは)公卿(くぎょう)として知られる。同年の八月十八日の政変により三条実美(さんじょうさねとみ)らと長州に逃れた(七卿落(しちきょうおち))。1865年(慶応1)長州藩から大宰府(だざいふ)に移り、1867年12月王政復古により帰洛(きらく)、新政府の参与(さんよ)に就任した。ついで明治政府の外国事務総督、神奈川府知事となり明治初年の外交を担当した。1869年(明治2)北海道開拓長官。1871年岩倉遣外使節に加わって欧米を巡視し翌年帰国。1882年元老院副議長、1890年貴族院副議長などを歴任した。著作に『竹亭回顧録維新前後』がある。明治45年1月4日没。
[佐々木克]
『霞会館華族資料調査委員会編『東久世通禧日記』上下・別巻(1992~1995・霞会館)』
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(上野秀治)
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…版籍奉還後,ただちに開拓使が設置されたのは,日露雑居の地樺太をめぐってロシアとの関係が緊張し,北方の開拓が急務とされたからであり,開拓によって国富を増進できるのではないかという期待もあった。開拓長官は初め鍋島直正,次いで東久世通禧(みちとみ)だったが,1870年5月に黒田清隆が開拓次官になってからは,黒田が開拓使の実質的な中心となった。黒田は74年8月から開拓長官となり,鹿児島出身の官僚を多く集めたので,開拓使は薩摩閥の独占するところとなった。…
※「東久世通禧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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