東京証券取引所(株)(読み)とうきょうしょうけんとりひきじょ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「東京証券取引所(株)」の意味・わかりやすい解説

東京証券取引所(株)
とうきょうしょうけんとりひきじょ

日本最大で、世界でも有数証券取引所有価証券の売買を行うための市場施設の提供、相場の公表および有価証券売買に関する公正性確保などを主要業務としている。一般に東証と略称される。英語名称はTokyo Stock Exchange, Inc.、略称TSE。所在地は東京都中央区日本橋兜町(かぶとちょう)。

[高橋 元 2023年1月19日]

黎明(れいめい)期

1878年(明治11)5月、株式取引所条例が定められた。これを受けて設立された東京株式取引所が東証の前身である。東京株式取引所は、日本で最初の証券取引所(金融商品取引所)であり、資本金20万円の株式会社として発足し、自らが初の上場銘柄(株式)として売買取引の対象となった。ただし、市場開設当初はまだ株式会社制度が十分には定着しておらず、上場銘柄数や株式の存在量が少なかったこともあって、株式取引所の名称にもかかわらず株式の取引は低調であり、設立時から上場されていた公債(債券)が売買の中心であった。

 1881年11月の日本鉄道を皮切りに相次いで鉄道会社が設立・上場されると、東京株式取引所における売買の中心は鉄道株に移り、こうした状況は主要鉄道会社が国有化される1906~1907年(明治39~40)まで続いた。国有化により鉄道株の大部分が消滅すると、取引所株、とりわけ「当所株」とよばれた東京株式取引所の株式が投機的な売買の対象となった。1931年(昭和6)9月の満州事変勃発(ぼっぱつ)後は、戦時経済体制(経済の軍事化)が進むなかで日本の産業構造は急速に重化学工業化が進展し、東京株式取引所はそれまでの投機一色から、ようやく重化学工業株が主導する投資の場としての色合いもみられるようになった。しかし、1943年6月、実物投資の振興や過当投機の排除(これは、国民の戦意高揚を損なう投機を抑え、軍需生産力拡充のための資金動員を企図していた)などを目的に、一部政府出資の特殊法人日本証券取引所が設立され、各取引所はこれに組み込まれた。この結果、明治以来の株式会社組織としての株式取引所はいったん終焉(しゅうえん)を迎えた。なお、日本証券取引所の設立に先だつ同年3月、「当所株」は上場廃止となっている。その後も実質的な株式取引は従前どおり行われていたが、敗色が強まるなか、戦時経済が実質的に破綻(はたん)し、証券市場も機能停止に陥ったことから、第二次世界大戦末期の1945年8月10日、日本証券取引所の全国市場は一斉に休会に入った。

[高橋 元 2023年1月19日]

第二次世界大戦後の会員組織体制

第二次世界大戦後、日本の金融当局や日本証券取引所は、早期の市場再開(1945年10月1日予定)につとめたが、連合国最高司令官総司令部(GHQ)から同年9月に取引所再開禁止覚書が出されたため、市場再開は無期延期状態となった。さらに1947年(昭和22)3月、証券取引法(昭和22年法)発布とともに日本証券取引所の解散等に関する法律が公布されたことにより、戦時下の国策に沿って運営されてきた日本証券取引所は解散した。1948年に証券取引法が改正されると(昭和23年法)、証券業界をめぐる制度的な基盤が整うこととなり、翌1949年4月に東証が設立された(取引の再開は5月)。立会場の施設などは、日本証券取引所時代を含めて東京株式取引所以来のものが継承されており、この点が組織的な変遷を経ながらも東京株式取引所が東証の前身と評価されるゆえんでもある。証券取引法(昭和23年法)に基づき、組織形態は証券業者による会員組織となり、会員選出による理事が運営にあたった。最高意思決定機関は会員総会とされた。東証における売買開始日は1949年5月16日であるが、これに先だってGHQの証券担当官アダムズThomas Francis Morton Adamsから証券取引三原則(時間優先の原則、取引所集中の原則、先物(さきもの)取引の禁止)が提示された。これらのうち、取引所集中の原則は、「上場銘柄の取引については取引市場での執行を原則とする」というものである。これにより証券取引所における立会場が排他的かつ主導的な役割を演じることとなったが、この原則は1998年(平成10)12月に撤廃されている。

 戦後復興期から高度成長期を通じて、東証は金融資本市場の中心的存在として機能していく。制度面では、証券取引所は証券取引法の制定当初から自主規制機関としての役割を担っていたが、実質的には大蔵省(現、金融庁)の行政指導に負うところが大きかった。しかし、証券不況を経て1965年に証券取引法が改正され、証券業が登録制から免許制に改められたことを契機に自主規制機関としての意義が見直され、上場企業数などあらゆる面で日本最大の東証はその公共的性格を強めていった。

[高橋 元 2023年1月19日]

環境変化と株式会社への改組

バブル経済崩壊後の日本は「失われた十年」がいつしか「失われた二十年」になり、株式流通市場では株価下落の趨勢(すうせい)が続くなど、低迷期を迎える。日本経済にダイナミズムを復活させるための日本版金融ビッグバンの推進により、国際化(グローバリゼーション)や規制緩和(自由化)が進展するが、こうした流れは東証のあり方にも大きな影響を及ぼした。世界的に取引所間の競争関係が強まるなか、日本の証券取引所の相対的な地盤沈下が深刻化した。そうした危機感を背景に、2000年(平成12)の証券取引法改正により取引所の株式会社形態が認められたことを受け、2001年に東証は株式会社へと組織変更された。これにより、従来の正会員は株主となり、最高意思決定機関は株主総会、通常業務の運営は取締役会にゆだねられることとなった。株式会社化の背景としては、(1)国際化の進展により世界中の投資家の巨額資金による大量の売買注文を迅速に処理し得るシステム構築が求められ、そうしたシステム開発に必要な巨額の資金調達への道筋を開く必要があったこと、(2)世界各地で証券取引所の経営統合が進むなか、日本の取引所もそうした流れに対応可能な組織形態が求められたこと、などがあげられる。一方、株式会社という事業形態に自主規制機関が付随することによるモラル・ハザードを防ぐ見地から、別組織の東京証券取引所自主規制法人が設立され、2007年11月より業務を開始した。

 2007年10月に、証券取引法が金融商品取引法(金商法)に改正された。これは単なる名称変更ではなく、国際化や自由化の進展がこれまでの証券概念ではくくりきれない多様な金融商品を生み出していることにかんがみ、幅広い投資商品について横断的に規制するニーズが高まったことを反映している。これにより、証券取引所も法的には金融商品取引所として扱われることとなった。こうした環境変化を背景に、2013年1月、東証グループと大阪証券取引所(大証)は経営統合して株式会社日本取引所グループ(JPX)となり、東証、大阪取引所(2014年3月に大証から改称)、日本取引所自主規制法人(2014年4月に東京証券取引所自主規制法人から改称)はJPX傘下の子会社となった。JPXは東証第一部に上場、また東証に現物市場(2013年7月)、大阪取引所にデリバティブ市場(2014年3月)を集約し、東証は市場第一部、市場第二部、マザーズJASDAQ(ジャスダック)(スタンダード、グロース)などの各市場をもつことになった。

[高橋 元 2023年1月19日]

魅力向上を目ざした市場再編

東証の市場構成は在来市場の集約にとどまっていたため、市場ごとの特性があいまいで、市場再編によって国際的魅力を高め、内外の投資マネーをよびこむべきであるとの議論が高まった。これを受けJPXは東証を2022年(令和4)4月に、「プライム」「スタンダード」「グロース」の3市場へと再編した。ちなみに、スタンダードとグロースはJASDAQで使われていた二つの名称が引き継がれている。

 プライム市場は、高い流動性とガバナンス水準を備え、投資家との建設的な対話に基づき成長を目ざすグローバル企業向け市場である。スタンダード市場は、一定の流動性と基本的なガバナンス水準を備えた実績のある企業向け市場である。そしてグロース市場は、高い成長実現の計画をもち、一定の市場評価が得られる一方、事業実績面で相対的にリスクが高い企業向けの市場である。具体的な上場基準は、まず流通株式の時価総額が、プライム市場は100億円以上、スタンダード市場は10億円以上、グロース市場は5億円以上となっている。ついで流通株式比率について、プライム市場は35%以上、スタンダード市場とグロース市場には25%以上を求めている。このほかにも、市場ごとに上場基準の細目が定められている。とりわけプライム市場は、世界の投資マネーをよびこむために、気候変動対策の情報開示、独立社外取締役の取締役数に占める比率が3分の1以上、決算やIR(インベスター・リレーションズ)に関する英文での情報開示など、より高い基準が設けられている。

 新しい市場と再編前の市場との関係は、プライム市場が東証第一部市場、スタンダード市場が東証第一部・第二部およびJASDAQスタンダード市場、グロース市場がJASDAQグロース市場およびマザーズ市場に上場されていた企業を、おのおの移行の対象とした。ただし、第一部市場からプライム市場への移行を希望する企業で、新たな上場基準を満たさない場合には、「上場維持基準の適合に向けた計画書」を提出することで、当面はプライム市場への上場を可能とする経過措置が講じられた。この経過措置については、市場区分にあいまいさを残し、再編の実効性を損なうという批判もある。

 なお、これまでは上場基準に比べると上場廃止基準が緩く、ひとたび上場されれば上場廃止となるケースはきわめて少なかった。この点については、市場再編を機に上場基準と上場廃止基準とがそろえられたことで、上場後の企業経営に緊張感を与えることとなった。

[高橋 元 2023年1月19日]

『東京株式取引所編・刊『東京株式取引所五十年史』(1928)』『原亨「わが国における株式取引所の成立と株式取引構造」(『証券経済』第106号所収・pp.60~77・1968・大阪証券経済研究所)』『野田正穂著『日本証券市場成立史――明治期の鉄道と株式会社金融』(1980・有斐閣)』『東京証券取引所グループ編・刊『東京証券取引所60年史 平成11年4月~平成21年3月 制度編』(2010)』


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