東広瀬村(読み)ひがしひろせむら

日本歴史地名大系 「東広瀬村」の解説

東広瀬村
ひがしひろせむら

[現在地名]豊田市東広瀬町

矢作川上流部にかかる広梅橋の南の地。近世上切かみぎり・下切の二組に分れていた。近世、寛永郷帳・元禄郷帳時には幕府領、天明二年(一七八二)巨勢求之助知行となり、万延元年(一八六〇)高二五六石余のうち七四石余が西尾藩領になり、相給支配の村として明治に至る。

寛永一八年(一六四一)に田畑三町四反余の開発が行われているが、うち田四反五畝余・畑五反三畝余は「東広瀬村内したり村分」となっている。寛文五年(一六六五)東枝下ひがししだれ村は当村から分村している(豊田市史)。寛文期には、幕府の船番所が置かれたが(猿投町誌)、享保三年(一七一八)矢作川とともえ川の合流点のすぐ南にある細川ほそかわ権水ごんずい(現岡崎市)に移された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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