松尾芭蕉(読み)マツオバショウ

デジタル大辞泉 「松尾芭蕉」の意味・読み・例文・類語

まつお‐ばしょう〔まつをバセウ〕【松尾芭蕉】

[1644~1694]江戸前期の俳人伊賀の人。名は宗房。芭蕉は俳号。別号、桃青とうせい・風羅坊など。藤堂良忠(俳号、蝉吟せんぎん)に仕えて俳諧を学び、京都で北村季吟師事。のち、江戸に下り、深川芭蕉庵に住み、談林風の俳諧を脱却して、蕉風を確立。各地を旅して発句紀行文を残し、旅先の大坂で病没。その句の多くは「俳諧七部集」に収められている。紀行に「野ざらし紀行」「おいの小文」「更科紀行」「奥の細道」、日記に「嵯峨日記」など。
[補説]忌日となる陰暦10月12日は、芭蕉忌のほか時雨忌しぐれき翁忌おきなき桃青忌とうせいきともいう。

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共同通信ニュース用語解説 「松尾芭蕉」の解説

松尾芭蕉

松尾芭蕉まつお・ばしょう 江戸時代前期の俳人。伊賀国(三重県)生まれ。俳諧をたしなんだ藤堂藩藤堂良忠とうどう・よしただに仕えたが、良忠没後に江戸へ下り、俳諧宗匠となる。深川に構えた「芭蕉庵」にちなみ、芭蕉と呼ばれるように。「不易流行」を説き、各地を旅して「更科紀行」「奥の細道」などの紀行文を残した。西国行脚の途上、大阪で病没した。

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精選版 日本国語大辞典 「松尾芭蕉」の意味・読み・例文・類語

まつお‐ばしょう【松尾芭蕉】

  1. 江戸前期の俳人。俳諧の革新を大成した蕉風の祖。名は宗房。幼名金作。通称甚七郎など。俳号ははじめ宗房、のち桃青・芭蕉。別号釣月軒・泊船堂・風羅坊など。伊賀国(三重県)上野の生まれ。藤堂良忠(俳号蝉吟)に仕えたが、良忠の病死とともに致仕。のち江戸に下り延宝八年(一六八〇)深川の芭蕉庵に入居。談林風の俳諧にあきたらず新風を求め、漢詩文調、破格調を経て蕉風を確立。以後没年まで各地を行脚、紀行文を残し、その間、ますます円熟の境地を示し、蕉風俳諧の頂点をきわめた。さらに「高悟帰俗」の理念のもと、晩年に至り「軽み」を提唱。元祿七年(一六九四)西国行脚を志したがその途次、五一歳で大坂で病没した。句は「冬の日」「曠野」「ひさご」「猿蓑」などに収められ、ほかに紀行文「笈の小文」「野ざらし紀行(甲子吟行)」「奥の細道」など。正保元~元祿七年(一六四四‐九四

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朝日日本歴史人物事典 「松尾芭蕉」の解説

松尾芭蕉

没年:元禄7.10.12(1694.11.28)
生年:寛永21(1644)
江戸前期の俳諧師。正しくは単に芭蕉。伊賀国上野(三重県上野市)の人。父は農作を業としながら正式に松尾の姓を有する家柄。幼名は金作。成長して通称を甚七郎,また忠右衛門,藤七郎とも伝え,名を宗房と名乗る。俳号ははじめ宗房,のち桃青。別号,坐興庵・栩々斎・花桃夭・華桃園・泊船堂・芭蕉洞・芭蕉庵・風羅坊など。「芭蕉」「はせを」の号は,はじめ庵号に由来する戯号であり,愛用したけれども,神社・仏閣に奉献するような改まった場合には,晩年に至るまで桃青・芭蕉桃青・武陵芭蕉散人桃青というような署名をした。 若年にして伊賀上野の藤堂藩伊賀支城付の侍大将(知行5000石)藤堂新七郎良精家に仕える。身分は料理人であったが,主君の若君藤堂良忠(俳号,蝉吟)と共に俳諧を嗜むことになった。寛文6(1666)年蝉吟の死とともに仕官を退き,俳諧に精進する。延宝初年,30歳代のはじめには江戸に出て上水道工事に携わったりするが,やがて職業的な俳諧師の道を歩む。延宝8(1680)年には『桃青門弟独吟二十歌仙』を刊行するに至り,当代における代表的選者のひとりと目されるようになったが,同年冬に突然江戸市中から退き,深川に草庵を結んで隠逸の生活に入る。すなわち芭蕉庵主の誕生である。生活は,数人の気心の知れた門人・知友によって支えられたらしいが,その緊張感にみちた高雅な句風が,次第に支持層を強固にしていった。貞享1(1684)年以後は,『野ざらし紀行』(1685,86頃),『鹿島詣』(1687),『笈の小文』,『更科紀行』(1688),『奥の細道』などに描きとどめられた種々の旅行を繰り返し,その死もまた,上方旅行の途中の大坂においてであった。その足跡は,陸奥平泉(岩手県平泉町)・出羽象潟(秋田県象潟町)を北端とし,播磨明石(兵庫県明石市)を西端とするが,夢想としての旅はさらに西国筋まで思い描かれていたらしい。 一般に庵住(隠棲)と行脚(旅行)は,一対として出家修行の2形態であり,芭蕉が深川の芭蕉庵を基点としつつも,近江(滋賀県)の幻住庵・無名庵や,山城(京都府)嵯峨の落柿舎(門人去来の別邸),郷里上野の実家屋敷内の草庵など,各地で長期・短期の庵住を営み,そのあいだ,あいだを旅に過ごしたのは,修行者としての実践のかたちを踏んだといえる。「拙者,浮雲無住の境界大望ゆゑ,かくのごとく漂泊いたし候」と書いた芭蕉は,実際に「手に十八の珠」(『野ざらし紀行』)の黄檗禅の数珠をかけて歩いていたらしい。この実践を通じて,心境は鋭く研ぎすまされ,作品は,典雅・高踏を抜け出て,やがて自由闊達な,軽快・余裕の境地に至った。俳諧が根本的に要求されるユーモアの精神を人格的な寛仁の中に位置づけたのである。ふつう芭蕉七部集と呼ぶ書物のうち,『ひさご』,『猿蓑』(1691)以降の集は,日本文学史の上での大きな転換点を具現している。その芸術的達成は,筆跡の上にも現れているが,また『野ざらし紀行画巻』や『旅路の画巻』などの長大な画作を残し,この方面でも素人離れのした才能を示した。<参考文献>大谷篤蔵監修『芭蕉全図譜』,上野洋三『芭蕉論』『芭蕉,旅へ』

(上野洋三)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松尾芭蕉」の意味・わかりやすい解説

松尾芭蕉
まつおばしょう

[生]寛永21(1644).伊賀上野
[没]元禄7(1694).10.12. 大坂
江戸時代前期~中期の俳人。本名,宗房。幼名,金作。通称,甚七郎または忠右衛門。別号,桃青,釣月軒,泊船堂,夭々軒,芭蕉洞,風羅坊。一説に伊賀国柘植 (つげ) の出生という。士分待遇の農家の出身で,伊賀上野の藤堂良忠 (蝉吟) に仕え,良忠とともに北村季吟に俳諧を学んだ。寛文6 (1666) 年の良忠没後致仕し,一時京都に遊学したともいう。同 12年郷里の天満宮に句合『貝おほひ』を奉納,江戸に下った。延宝期は談林俳諧に傾倒したが,杉風,其角,嵐雪などの門人もでき宗匠として独立。延宝8 (80) 年深川の芭蕉庵に隠棲し,そこで従来の談林の俳風をこえて,蕉風俳諧を創始。また各地を旅行して『野ざらし紀行』をはじめ『更科紀行』 (88) ,『奥の細道』など多くの名句と紀行文を残した。句集は『俳諧七部集』に収められる。そのほか俳文『幻住庵記』 (90) ,日記『嵯峨日記』 (91) などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松尾芭蕉」の解説

松尾芭蕉 まつお-ばしょう

1644-1694 江戸時代前期の俳人。
正保(しょうほ)元年生まれ。京都で北村季吟(きぎん)にまなぶ。江戸にでて宗匠となり,延宝8年深川に芭蕉庵をむすぶ。貞享(じょうきょう)元年の「甲子吟行(かっしぎんこう)」「野ざらし紀行」をはじめ「笈(おい)の小文」「おくのほそ道」などの旅をへて,不易流行の思想,わび・さび・軽みなどの蕉風にたどりつく。作句は没後,「冬の日」「猿蓑(さるみの)」「炭俵」などの七部集にまとめられた。元禄(げんろく)7年10月12日旅先の大坂で病死。51歳。命日を時雨忌という。伊賀(いが)(三重県)出身。名は宗房。通称は忠右衛門。別号に桃青(とうせい),坐興庵,栩々斎(くくさい),花桃園など。
【格言など】春に百花あり秋に月あり,夏に涼風あり冬に雪あり。すなわちこれ人間の好時節

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旺文社日本史事典 三訂版 「松尾芭蕉」の解説

松尾芭蕉
まつおばしょう

1644〜94
江戸前期の俳人
名は宗房 (むねふさ) ,別号は桃青・風羅坊など。伊賀(三重県)上野の生まれ。もと伊賀上野の藤堂藩士。武士身分を捨てて町人の世界に入った。江戸で談林派などの俳諧を学び,のち「さび」「しおり」「細み」などを根本理念とした蕉風を開拓。俳諧を芸術として確立した。蕉門十哲をはじめ,多くのすぐれた門弟を輩出させ,各地に旅し,名句と紀行文を残した。その句風は『猿蓑』など「芭蕉七部集」にうかがうことができる。紀行文では『奥の細道』が著名。

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改訂新版 世界大百科事典 「松尾芭蕉」の意味・わかりやすい解説

松尾芭蕉 (まつおばしょう)

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事典・日本の観光資源 「松尾芭蕉」の解説

松尾芭蕉

(三重県伊賀市)
伊賀のたからもの100選」指定の観光名所。

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百科事典マイペディア 「松尾芭蕉」の意味・わかりやすい解説

松尾芭蕉【まつおばしょう】

芭蕉

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「松尾芭蕉」の解説

松尾芭蕉
まつおばしょう

芭蕉(ばしょう)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松尾芭蕉」の意味・わかりやすい解説

松尾芭蕉
まつおばしょう

芭蕉

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世界大百科事典(旧版)内の松尾芭蕉の言及

【芭蕉】より

…江戸前期の俳人。姓名は松尾宗房。俳号は,はじめ宗房を用い,江戸に下って桃青(とうせい)と号した。別号は,立机(りつき)後に坐興庵,栩々斎(くくさい),花桃夭(かとうよう),華桃園など,深川退隠後に泊船堂,芭蕉翁,芭蕉洞,芭蕉庵,風羅坊など。好んで,はせを,芭蕉とも署名した。伊賀上野(現,三重県上野市)の城東,赤坂の農人町に生まれ,元禄7年10月12日に大坂で客死,遺言によって近江の粟津義仲寺に葬られた。…

※「松尾芭蕉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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