板付村(読み)いたづけむら

日本歴史地名大系 「板付村」の解説

板付村
いたづけむら

[現在地名]博多区板付一―七丁目・南八幡町みなみはちまんまち一―二丁目・三筑さんちく一―二丁目・西月隈にしつきぐま一―三丁目・同五―六丁目・板付

那珂なか郡に所属。御笠みかさ川中流左岸に位置する。西は那珂村、東は席田むしろだ立花寺りゆうげじ村。日田街道が通っていた。建武三年(一三三六)三月の多々良浜合戦の折、板付・諸岡もろおか原でも合戦があったという(北肥戦誌)。「正任記」文明一〇年(一四七八)一〇月一三日条によると「板付村」は大内政弘の御台所の料所となっていた。大内氏の直轄領に準ずるものであったと考えられる。天文(一五三二―五五)末年の四月一三日付臼杵鑑続書状(西郷文書/福岡県史資料一〇)によると、当村は大内氏の重臣弘中隆兼の本知行であるが、小原因幡守のため不知行になっているので替地を給与するとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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