柴原郷(読み)しばはらごう

日本歴史地名大系 「柴原郷」の解説

柴原郷
しばはらごう

中世の保内上四郷の一郷で、みなみ村・西にし(近世の芝原村)野背のせ(近世の二俣村)から構成される(宝徳元年七月一〇日「柴原村人連署畠売券」今堀日吉神社文書)。貞和二年(一三四六)一二月七日の道阿弥陀仏畠質流状(同文書)に柴原郷とみえる。嘉吉二年(一四四二)には柴原郷一反など計四反の如法経田を免田とし、図師および公文中村氏所持の帳面から除くことが延暦寺から得珍とくちん保図師一揆中に指示された(同年一一月二一日「山門衆議下知状」同文書)。文明一〇年(一四七八)六月二六日の柴原田雨乞日記(同文書)によれば、田四町八反大に課された計五〇五文が雨乞費用に充てられている。

天文五年(一五三六)柴原名主中は先規の慣行を破り、たか井下流の今堀いまぼり郷新開地に水行樽銭を要求した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android