根坂間村(読み)ねさかまむら

日本歴史地名大系 「根坂間村」の解説

根坂間村
ねさかまむら

[現在地名]平塚市根坂間ねざかま高村たかむら

東は徳延とくのぶ村、西は上吉沢かみきつさわ村・下吉沢村、北は公所ぐぞ村、南は淘綾ゆるぎ出縄いでなわ村に接する。西半分は大磯丘陵畑地、東半分は水田地域で大磯丘陵縁沿いに南北に伊勢原いせばら道が通る。

「風土記稿」によれば古くは河内こうち村・公所村とともに坂間さかま郷と称され三村の土地は錯雑するとあり、当村は寿永三年(一一八四)六月三日の源頼朝安堵下文(県史一)にみえる「中坂間郷」にあたるとされる。同下文では同郷内にある鎌倉鶴岡八幡宮若宮の相撲取家真の給田一町・畠一町・在家一宇などの公事が免除されている。嘉慶二年(一三八八)八月二八日の関東公方足利氏満寄進状写(県史三)によれば坂間郷内の鎌倉府料所が四季聖天供の料所として金目かなめ光明こうみよう寺へ寄進されている。永禄八年(一五六五)二月二日の北条家朱印状(同書)によれば、大藤同心西原源太からの陣夫要求の訴えをいれて坂間郷から陣夫一を出すことに決定されたが、坂間郷の百姓らは前々から夫銭で出していたとしてこの命令を拒否し、北条氏は永代夫銭で出すことを命じた朱印状があるならば提出せよ、なければその間は陣夫を出すよう命じている(同年二月一〇日「北条家朱印状」同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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