森山八幡宮(読み)もりやまはちまんぐう

日本歴史地名大系 「森山八幡宮」の解説

森山八幡宮
もりやまはちまんぐう

[現在地名]春野町森山

みや谷西平たににしだいらにある。祭神は応神天皇・日野資朝・同朝保・同勝朝・同照清ほか。旧郷社。

社伝によれば、日野資朝の孫勝朝は正平二三年(一三六八)後村上天皇の死後、南朝方勢力の回復を図って八幡神および重器を負って廻国した。翌年四月、当地の領主徳弘安宗なる者の館に身を寄せたが、外聞を恐れて仮谷口かりやぐち(狩谷口)の地に移り、宮殿を建立して八幡神ほかを祀ったことに始まるという。なお南北朝時代、当地辺の武士たちは南朝方に属しており(暦応三年正月二八日「佐伯経貞軍忠状」西岡家文書)勧請の背景がうかがえる。天正三年(一五七五)長宗我部元親の弟香宗我部親泰らが大檀那となり再建(編年紀事略)


森山八幡宮
もりやまはちまんぐう

[現在地名]阿東町大字嘉年上 東居坂

阿武川(松本川)の東岸、東居坂ひがしいさか鎮座。祭神は応神天皇・神功皇后・田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命。旧村社。

社伝によれば弘仁八年(八一七)豊前国宇佐八幡(現大分県宇佐市)を勧請。村内の八幡原やわたばらに祀り、その地を原森山はらもりやまと称したが、のち現在地に遷座したという。

中世には嘉年かね郷の鎮守とされたらしく、嘉年郷八幡とよばれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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