俳優。大阪府に生まれる。早稲田(わせだ)大学在学中から演劇活動を始め、中退後、日本劇場の演出助手を振り出しに東宝劇団、古川緑波(ろっぱ)一座などを経て、新京放送局に勤務。第二次世界大戦後は新宿ムーラン・ルージュ、帝劇ミュージカルスなどに出演、人気を得る。映画での初主演は1950年(昭和25)の『腰抜け二刀流』。その後『夫婦善哉(めおとぜんざい)』『警察日記』などに次々と主演。舞台でも『夫婦善哉』『佐渡島他吉(さどじまたきち)の生涯』など多くの傑作を残し、とくに『屋根の上のヴァイオリン弾き』は1967年の初演以来900回の上演を重ね、観客動員数延べ165万人の大記録を打ち立てた。紫綬(しじゅ)褒章、文化功労者、文化勲章など多数受賞。また文筆にも優れ、著書も多い。平成21年11月10日死去。死後、国民栄誉賞が贈られた。
[向井爽也]
『『森繁久弥 隙間からスキマへ』(1998・日本図書センター)』▽『『森繁自伝』(中公文庫)』▽『倉本聡著『森繁久弥86才芸談義』(小学館文庫)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
…製作は東宝の子会社,東京映画。いずれも森繁久弥,伴淳三郎,フランキー堺のトリオを主役に,毎回変わる設定のなか,3人の持味を生かし,人情コメディを基本に,ドタバタ喜劇の活力,社会風俗の同時代性,新旧世代の心情の違いによる哀感などを巧みに取り入れ,人気を博した。《駅前旅館》は,井伏鱒二の同名小説を原作とする豊田四郎監督作品で,上野駅前の旅館の番頭(森繁)とライバル旅館の番頭(伴淳)と旅行社の添乗員(フランキー)を中心に(この3人の芸達者の〈芸〉が大きな見せどころになる),移りゆく旅館街のてんやわんや,お色気騒動などが描かれ,風俗映画の佳作となっている(例えば地方から慰安旅行に出てきた新興宗教団体の一行に〈今流行のドカビリを見せてけれ〉と請われたフランキー堺が三味線をギターに見たててロカビリー歌手を熱演すると,そのリズムに乗った一行から賽銭が飛んでくるといったシーンがある)。…
… 戦後の喜劇映画の主流は,笑いそのものを直接追求する映画ではなく,風俗劇の方向をたどることになる。例えば,コメディアンとして登場した森繁久弥も,その代表作は,ユーモラスではあるが,しかし笑いを目的としたものではない風俗人情劇《夫婦善哉》(1955)といえる。コメディアンも1人で観客を動員することが困難になっていった。…
…37年に日中戦争が起きて以来,戦時色は日ごとに強まり,やがて41年には太平洋戦争に突入する。そんな中で,ロッパは,37年に渡辺篤,若手として森繁久弥(1913‐ ),山茶花究(さざんかきゆう)を入れ,座付作者の菊田一夫と組んで,《道修町(どしようまち)》《花咲く港》といった〈当時の風潮に従うようにみえて,実は一種の抵抗である芝居をやってのけた〉(小林信彦による)。一方,エノケンは,十八番の《法界坊》《らくだの馬さん》などで人気を博したが,彼の片腕ともいうべき座付作者,菊谷栄の戦死によって,しだいにバイタリティを失っていった。…
…豊田四郎監督作品。織田作之助の出世作であり代表作ともなっている同名小説(1940)の映画化(脚本は八住利雄)で,大阪船場の化粧品問屋の生活力のまったくない放蕩息子(森繁久弥)と水商売の女(淡島千景)との〈腐れ縁〉を笑いとペーソスのなかに描いた風俗映画の傑作として評価される。〈まるでこの作品のために生まれてきたような〉森繁久弥(1913‐ )の一つの頂点を示す名演で,〈おばはん,たよりにしてまっせ〉というラストシーンのせりふの名調子に象徴される関西弁の魅力とあいまって,大阪情緒に彩られた〈関西弁映画〉の代表作となるとともに,豊田四郎監督の〈文芸映画〉の代表作ともなっている。…
※「森繁久弥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新