朝日日本歴史人物事典 「樋口対山」の解説
樋口対山
生年:安政3.3.15(1856.4.19)
幕末明治期の普化尺八の奏者。旧姓は鈴木。本名は治助,のちに孝道。明暗法系名は対山孝道といい,没後,明暗中興の祖として,それまで途絶えていた法系34世(のちに35世)を追配される。名古屋に生まれ,尺八を浜松普大寺の玉堂梅山の門人,兼友西園に師事し,本曲(尺八だけの演奏曲)11曲と多くの外曲(箏,三味線との合奏曲)を習得した。明治18(1885)年に京都に移り,尺八で身を立てようとしたが,当時,保守的,因襲的色合いの強い京都三曲界にはなじまず,本曲の道を志す。明暗教会の訳教(尺八指南役)となってからは,西園流,琴古流,その他九州系の本曲を収集整理し,独自の曲を制定して,のちに明暗対山流(対山派)と呼ばれる勢力を築き,現在も伝わる。
(志村哲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報