漫画家。高知市生まれ。城東中学校卒業。東京美術学校の受験に二度失敗後、郷里の先輩にあたる彫刻家本山白雲(もとやまはくうん)(1871―1952)の内弟子になる。その間『マンガマン』誌などに漫画を投稿していると、白雲に漫画家となることを勧められ堤寒三(つつみかんぞう)(1895―1972)の門に入る。やがて岡本一平(いっぺい)門下の近藤日出造(ひでぞう)(1908―1979)、杉浦幸雄(ゆきお)(1911―2004)らとも知り合うようになり、1932年(昭和7)近藤、杉浦らと「新漫画派集団」を結成。同集団はナンセンス漫画をマスコミ各紙誌に売り込むことで漫画界の主流になっていく。1936年1月、『朝日新聞』に『江戸ッ子健ちゃん』を連載。脇役(わきやく)のフクちゃんの人気が高かったため、同年10月より『養子のフクちゃん』としてスタート、フクちゃんブームがおこり、中村メイコ(1934―2023)主演で映画化されるほどであった。この作品は、かけ出し時代の長谷川町子に大きな影響を与えた。第二次世界大戦後は『デンスケ』(毎日新聞)、『百馬鹿(ひゃくばか)』(漫画サンデー)などの作品を生み、『フクちゃん』も『毎日新聞』に1956年(昭和31)から1971年まで連載された。1955年ごろから「おとぎプロ」を設立してアニメーション映画も製作した。また、戯画油彩画の個展を何回も開催している。1994年(平成6)文化功労者。
実弟の横山泰三(たいぞう)(1917―2007)も『プーサン』(毎日新聞・週刊新潮)や、1954年より『朝日新聞』に連載の『社会戯評』で知られ、戦後漫画の改革者の一人である。
[清水 勲]
『横山隆一著『隆一コーナー』(1982・六興出版)』▽『『隆一画集』(1987・かまくら春秋社)』▽『横山隆一著『横山隆一・わが遊戯的人生』(1997・日本図書センター)』▽『横山隆一著『百馬鹿』(小学館文庫)』▽『横山泰三著『プーサン』(小学館文庫)』
昭和・平成期の漫画家 おとぎプロダクション社長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
漫画家。高知県生れ。1928年,川端画学校に学び,このころから《アサヒグラフ》《新青年》などに漫画を描き出し,32年に近藤日出造,杉浦幸雄らと新しい感覚によるナンセンス・マンガをめざして〈新漫画派集団〉(第2次大戦後の〈漫画集団〉の前身)を結成。36年《朝日新聞》に《江戸っ子健ちゃん》を連載,その作中の副主人公である養子のフクちゃんが人気を得て,以後《フクちゃん》ものとしてひきつがれる。これは戦後の56年に《毎日新聞》に移り,71年終了まで5534回を重ね,日本漫画史上最初のロングランとなった。また,55年から《おんぶおばけ》などのアニメーション作品を製作。それに伴い56年には〈おとぎプロ〉を設立した。新聞連載としては他に《デンスケ》(1949-55,《毎日新聞》),漫画集には《勇気》(1966)などがある。漫画界屈指のアイデアマンとして,小市民の生活から生まれる笑いを創造した。
執筆者:清水 勲
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
北大西洋にある世界最大の島。デンマーク自治領。中心地はヌーク(旧ゴートホープ)。面積217万5600平方キロメートルで、全島の大部分は厚い氷に覆われている。タラ・ニシンなどの漁業が行われる。グリーンラ...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新