日本大百科全書(ニッポニカ) 「武蔵(戦艦)」の意味・わかりやすい解説
武蔵(戦艦)
むさし
旧日本海軍が保有した巨大戦艦。大和(やまと)型2艦の2番艦で、1942年(昭和17)8月、三菱(みつびし)重工業長崎造船所で完成した。公試排水量6万9100トン、速力27ノット、乗組員約2500人。主砲に46センチ三連装3基を備え、2万メートルの砲戦で46センチ砲弾に耐えうる舷側(げんそく)防衛力を有した。就役後、第一艦隊第一戦隊に編入され、大和と交替で連合艦隊旗艦の任務についた。戦死した山本五十六(いそろく)司令長官の遺骨を日本に運んだのは武蔵である。戦時中その巨砲の威力を発揮する機会はなく、44年10月24日、米軍のフィリピン攻略に対応した捷号(しょうごう)作戦に参加中、比島沖海戦において米軍機の攻撃にあい、魚雷20本以上、爆弾17発以上を受けシブヤン海に沈んだ。
[前田哲男]
『渡辺清著『戦艦武蔵の最期』(1982・朝日新聞社)』▽『吉村昭著『戦艦武蔵』(新潮文庫)』