武鎗村(読み)むやりむら

日本歴史地名大系 「武鎗村」の解説

武鎗村
むやりむら

[現在地名]若柳町武鎗

大林おおばやし村の北東に位置し、南に水田が開け、南端なつ川が東流する。北部は標高六〇―一〇〇メートルほどの丘陵地。西は三迫の有賀さんのはさまのありが村、東は下油田しもゆた(現岩手県西磐井郡花泉町)と接する。三迫に属し、三迫大肝入の管轄下。武鑓とも記され、村名は武鑓典厩入道が城主という武鑓城に由来すると伝える。「仙台領古城書上」に東西二〇間・南北四〇間とあり、現在平場・段築・空堀がうかがえる。なお武鑓氏は「葛西大崎盛衰記」にもみえる葛西氏家臣の武鑓典膳とする説もある。正保郷帳に村名がみえ、柴山・水損と注され、田一四〇貫三九九文・畑一六貫七九二文で、ほかに新田六一貫二五三文とある。「封内風土記」に金田かねた糠塚ぬかづか郷武鎗邑とあり、戸数二五八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報