江守村(読み)えもりむら

日本歴史地名大系 「江守村」の解説

江守村
えもりむら

[現在地名]福井市江守中えもりなか町・舞屋まいや町・西谷にしたに町・ふち町・種池たないけ町・下江守しもえもり

北は八幡はちまん山、西は日野川、南は浅水あそうず川を境に南江守みなみえもり村。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に村名がみえ、高三七六〇・一四二石とある。正保郷帳から江守中村を中心に東の舞屋村、北の西谷村・渕村、西の種池村、その西の下江守村の六ヵ村に分村する。福井藩領。

南江守村の地を含めて中世は江守庄とよばれた。「太平記」巻二七(上杉畠山流罪死刑事)は、貞和五年(一三四九)八月、足利直義党の中心人物、上杉重能・畠山直宗を「江守ノ庄」に配流し、守護代八木光勝に攻め殺させたと記している。江守中の東部に鎮座する熊野くまの神社(祭神速玉男神・事解男神・伊弉冊尊)は往古江守庄七ヵ村の鎮守であったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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