評論家。本名江頭淳夫(えがしらあつお)。昭和8年12月25日、東京に生まれる。慶応義塾大学英文科に入学するが、病を得て療養。その間執筆したエッセイが、当時『三田(みた)文学』の編集者だった山川方夫(まさお)に認められ、同誌に『夏目漱石(そうせき)』を発表(1955~56)。清新かつ個性的な批評家の出現と注目を浴びた。同大学卒業後、『奴隷の思想を排す』(1958)、『作家は行動する』(1959)などを次々と刊行。当時台頭した大江健三郎(おおえけんざぶろう)らの戦後世代の文学を補完する批評活動として評価された。また『小林秀雄(ひでお)』(1960~61)は、現代批評の高峰にあった評論家の肖像を描くことが、文学の確かさの認識と重なる意味を解明した画期的一編である。1962年(昭和37)から2年間アメリカで生活。『アメリカと私』(1965)はその結実であるが、またその体験を内的思惟(しい)として『成熟と喪失』(1966~67)を書く。漱石研究の集大成として『漱石とその時代』二部作(1970)があり、自己の系譜に挑んだ『一族再会』(1972)、続いて『海は甦(よみが)える』(1973)を刊行。さらに、アメリカ占領軍の検閲と「戦後」の意味を問う『忘れたこと忘れさせられたこと』(1979)、『落葉の掃寄せ』(1982)がある。99年(平成11)『文芸春秋』5月号に、98年11月に癌(がん)で没した妻との闘病生活を記した『妻と私』を発表し、話題をよんだ。東京工業大学教授、慶応義塾大学教授を経て97年からは大正大学教授。94年日本文芸家協会理事長に就任したが、99年健康上の理由から辞任。平成11年7月21日没。病気を苦にしての自殺であった。
[金子昌夫]
『『江藤淳著作集』全6巻(1967・講談社)』▽『『江藤淳著作集 続編』全5巻(1973・講談社)』▽『『新編江藤淳文学集成』(1984~85・河出書房新社)』▽『『全文芸時評』上下(1989・新潮社)』▽『『群像日本の作家27 江藤淳』(1997・小学館)』▽『『妻と私』(1999・文芸春秋)』
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