デジタル大辞泉
「河南」の意味・読み・例文・類語
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かなん【河南】
(ロ) 今の洛陽を
中心とする地域。
古来、
行政区画として、しばしば道・府・郡・県が置かれたが、その地域は狭広があった。〔
漢書‐地理志上〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
河南
かわみなみ
大淀川以南地域をさす広域呼称。応永―嘉吉(一三九四―一四四四)頃、島津忠国は日向の伊東祐尭を攻撃し、山東の河南城が落城している(天文五年一一月二二日「相良洞然長状写」相良家文書)。文明一八年(一四八六)国人によって殺害された伊東祐邑の霊が祟りをなすため、享禄四年(一五三一)一二月一三日都於郡(現西都市)に八幡大菩薩として祀ったが祟りはやまず、天文五年(一五三六)一一月国富庄河南本郷(現宮崎市)に加護八幡宮として再興したという(日向記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
河南
かなん
宮城県東部、桃生郡(ものうぐん)にあった旧町名(河南町(ちょう))。現在は石巻(いしのまき)市の南西部を占める地域。1955年(昭和30)広淵(ひろぶち)、須江、北、前谷地(まえやち)、鹿又(かのまた)の5村が合併して町制施行。2005年(平成17)石巻市に合併。河南の地名は北上川南岸の広域呼称に由来する。JR石巻線が通じ、気仙沼線(けせんぬません)を分岐する。また、国道45号、108号が通じる。旧北上川下流部に位置し、耕地の大部分は水田で、県内でも有数の稲作地域である。キュウリ、トマトなどの野菜や花卉(かき)園芸も盛ん。広淵沼は灌漑(かんがい)用に築造されたが、大正中期に干拓され685ヘクタールの水田が造成された。西部の旭山(あさひやま)はサクラの名所で、県立自然公園になっている。山麓(さんろく)にある箱泉(そうせん)寺は円仁(慈覚大師)が開いたと伝えられ、名木シダレグリがある。北西部には縄文後期の宝ヶ峯遺跡がある。
[境田清隆]
『『河南町誌』全2巻(1971・河南町)』▽『『河南町史』全2巻(2005・河南町)』
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河南
かなん
宮城県東部,石巻市西部の旧町域。旧北上川下流域に位置する。 1955年町制。 2005年石巻市,河北町,雄勝町,桃生町,北上町,牡鹿町の1市5町と合体して石巻市となった。仙北平野南東部を占め,水田単作地帯。西部に旭山県立自然公園があり,その東の広淵にはかつて西の名鰭沼 (なびれぬま) の水を導入した灌漑用ため池の広淵沼があったが,1928年に干拓された。
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河南[町] (かなん)
大阪府南東部,南河内郡の町。人口1万7040(2010)。金剛山地の西斜面にあり,東は奈良県に接する。西部は東条川の沖積地と丘陵地よりなり,耕地が広がる。米作を中心とした農業が盛んであったが,近年施設園芸としてナスや葉菜類の栽培も盛ん。丘陵地ではミカン栽培も行われる。天智朝に役行者(えんのぎようじや)が創建し,天武朝に勅願寺となったと伝え,西行が没したといわれる弘川寺や空海によって命名されたと伝える高貴寺がある。
執筆者:松原 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報