浅部村(読み)あさべむら

日本歴史地名大系 「浅部村」の解説

浅部村
あさべむら

[現在地名]中田町浅水あさみず

北上川右岸の微高地集落があり、南は日野渡ひのと(現登米町)、北は水越みずこし村、西は新井田にいだ村に接する。寛永六年(一六二九)の白石宗貞宛伊達政宗領知黒印状(伊達家文書)に「一四拾九貫四百三拾三文 同あさへ村」とある。正保郷帳に田一〇七貫一一五文・畑九貫八五八文とあり、ほかに同所新田二六貫四一六文があり、旱損と注記される。「安永風土記」によれば、田一三七貫五一三文・畑一一貫七八一文で、蔵地は七三五文、給所は一四八貫五五九文、人頭九三人、家数九八、男女都合五〇一、馬四八とある。

浅部村
あさべむら

[現在地名]桐生市梅田町うめだちよう二丁目

高沢こうざわ川が桐生川に流入する地の谷間に位置。西は上久方かみひさかた村、北は高沢村、東・南は桐生川を挟んで下野国足利あしかが上菱かみびし村。もと上久方・高沢村を合せ一村で、承応年間(一六五二―五五)に分村したという(郡村誌)。寛文一二年(一六七二)検地帳(安蔵文書)では高二六一石余。天和二年(一六八二)の分郷配当帳では旗本森川領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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