デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅野忠」の解説
浅野忠 あさの-ただし
文政2年10月18日生まれ。備後(びんご)(広島県)三原城主で,広島藩家老。ペリー来航を機に藩政改革に着手したが失敗。一時三原にかえり,洋式兵法を採用し,砲台をきずいた。のち藩政に復帰して軍制を整備。明治5年厳島(いつくしま)神社宮司。明治25年11月14日死去。74歳。初名は忠助,のち忠厚。通称は遠江,主殿,大和,飛騨。号は榎蔭。
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
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