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浦上玉堂【うらかみ・ぎょくどう】
7件の用語解説(浦上玉堂で検索)
朝日日本歴史人物事典の解説-
生年:
延享2 (1745)
没年: 文政3.9.4 (1820.10.10)
江戸後期の南画家。姓を紀,名は孝弼,字は君輔,通称を兵右衛門といった。35歳のとき「玉堂清韻」の銘のある中国伝来の七弦琴を得てから,玉堂琴士と号した。別に白髯琴士などの号がある。備前岡山藩の支藩鴨方藩士の家に生まれ,7歳で家督を嗣ぐ。青年のころには1歳年上の藩主池田政香を敬慕し,その側近として仕えたが,政香は25歳で没した。その後大目付にまで進んだが,43歳のときには大取次御小姓支配役へと左遷されている。この間,江戸詰の折には,多紀藍渓について琴を学び,また自宅を訪れた司馬江漢や春木南湖,海量ら文人墨客と交流,『玉堂琴譜』を出版するなどしていたが,同輩からは次第に好事に走る者とみなされるようになっていったらしい。寛政6(1794)年50歳のとき春琴,秋琴の2子をつれて旅先の城崎温泉から突然脱藩届けを出し,以後,愛用の琴を携えて各地を放浪,書画と琴を中心とする自由な生活に入り,晩年は京都に住した。脱藩については,寛政異学の禁の身におよぶのを避けたためとも,娘之の不義事件のためともいわれるが判明していない。ただし,岡山藩は陽明学の本拠地であり,玉堂の周辺には,河本一阿,立軒などの陽明学の徒があり,玉堂自身も陽明学に関心を持っていたこと,また,48歳のときに妻を亡くしたことがわかっている。 玉堂の画は独学といってよいもので,脱藩以前から絵を描いていたが,そのほとんどは60,70歳代の制作にかかる。「東雲篩雪図」(川端康成記念館蔵),「煙霞帖」(梅沢記念館蔵)のように,深い憂愁感にみちたもの,また「山紅於染図」「高下数家図」(いずれも個人蔵)のように落ち着いた澄明感のあるもの,「鼓琴余事帖」(個人蔵)のような動きのある作品など,いずれも山水だけを対象にして,鋭い神経をはりめぐらし,擦り込むような筆致は,詩情溢れる美しい世界を表出している。長男の春琴も山水花鳥画を得意として高い評価を得ていた画家である。<参考文献>矢田三千男『(稿本)浦上玉堂の研究』,森銑三「浦上玉堂伝の研究」(『森銑三著作集』3巻),『浦上玉堂画譜』
(星野鈴)
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世界大百科事典 第2版の解説-
うらがみぎょくどう【浦上玉堂】
1745‐1820(延享2‐文政3)
江戸時代の文人画家。姓は紀,諱(いみな)は弼,字は君輔。玉堂は号。岡山池田藩の支藩鴨方藩士の家に生まれる。自ら〈玉堂琴士,幼にして孤〉というように,7歳のとき父をなくし,母一人子一人の孤独な境涯にあった。9歳で《小学》を読み,10歳で藩学へ入学,16歳の年には藩学において大生となり,この年藩主政香の御側詰となる。主君政香は玉堂より1歳年上で,当時の人々に水魚の交わりといわれたが,1768年(明和5)玉堂24歳の年に政香が没した。・・・
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説-
浦上玉堂 うらがみ-ぎょくどう
 
1745-1820 江戸時代中期-後期の文人画家。
延享2年生まれ。備中(びっちゅう)岡山新田藩士。寛政6年50歳のとき,春琴,秋琴の2人の子供をつれ脱藩。以後60代半ばに京都におちつくまで,琴をたずさえ各地を放浪した。独学で独自の山水画の世界をきずいた。詩人としての評価もたかい。文政3年9月4日死去。76歳。名は孝弼。字(あざな)は君輔。通称は兵右衛門。別号に穆斎。作品に「東雲篩雪(しせつ)図」(国宝),「煙霞帖」「山紅於染図」など。詩集に「玉堂琴士集」。
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
美術人名辞典の解説- 江戸後期の文人画家。名は弼、字は君輔、玉堂は号、通称は兵右衛門、別号に穆斎。備前に生まれ岡山藩に仕える。のち琴を携えて遊歴、田能村竹田・木村蒹葭堂・谷文晁・岡田米山人と交わる。晩年は京都に定住。絵は独学であるが、自由奔放な山水画は独特の気韻を持ち、日本南画の完成を見る。文政3年(1820)歿、76才。
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デジタル大辞泉の解説-
うらがみ‐ぎょくどう 〔‐ギヨクダウ〕 【浦上玉堂】
[1745~1820]江戸中期の南画家。姓は紀、名は弼(たすく)。字(あざな)は君輔。備前池田家の支藩鴨方(かもがた)に仕えたが、江戸に出て、詩や琴、絵を学ぶ。のちに脱藩して、各地を遊歴した。画は深い自然観をたたえ、濃淡交えた繊細な渇筆を駆使した山水画に独自の境地を開いた。
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百科事典マイペディアの解説-
江戸時代の南画家。岡山池田藩の支藩鴨方藩士の家に生まれる。姓は紀,名は弼,字は君輔。七弦琴の名手で,生涯手離さず,自ら玉堂琴士と称した。自由な文人生活にあこがれ,1794年2子を抱いて脱藩,諸国を放浪して自然の観照を深め,奔放ともみえる独自の山水画風を確立。
(1745-1820)
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大辞林 第三版の解説-
うらがみぎょくどう【浦上玉堂】
(1745~1820) 江戸中・後期の南画家。備中鴨方(かもがた)藩に仕えたが脱藩。七弦琴をよくし春琴(しゆんきん)・秋琴の二子と琴を携えて全国を流浪。独学で詩情豊かな山水画を描いた。代表作「凍雲篩雪(とううんしせつ)図」
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浦上玉堂に近い言葉→上玉|玉堂|浦上|玉堂富貴|浦上崩れ|浦上天主堂|浦上とキリスト教|浦上氏|浦上秋琴|浦上九内
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