日本大百科全書(ニッポニカ) 「海上の道」の意味・わかりやすい解説
海上の道
かいじょうのみち
日本人は南方から潮流にのって渡来したとする学説で、柳田国男(やなぎたくにお)の同名の書によって唱えられた。とくに黒潮の及ぶ範囲で、太平洋岸は福島・茨城県あたり、日本海側は富山県あたりを北限とする地域に、タカラガイが分布している。中国の秦(しん)の始皇帝の段階に、銅貨が通用するようになったがそれ以前はタカラガイが最高の財貨であった。そこで人々は、陸に向かって吹く強風に助けられて、島や磯(いそ)伝いに小舟を操り、タカラガイを求めて渡来したのだろうという考え方である。そのおり大陸から稲の種子を携えてきたというのが柳田国男説の骨子でもあった。考古学上の検証は不十分であるが、日本文化の南方的要素を説明する場合に、日本人渡来の道筋を予想させる一つの考え方とされている。
[宮田 登]