深尾角馬(読み)ふかお・かくま

朝日日本歴史人物事典 「深尾角馬」の解説

深尾角馬

没年天和2.10.27(1682.11.26)
生年:寛永8(1631)
江戸前期の剣術家。鳥取藩士。河田利右衛門の子。名は重義,喜六と称す。岡山藩の家老池田之政に仕えたが,寛永9(1632)年鳥取藩への移封に従う。深尾家を継いで深尾角馬と改め,井蛙と号す。父から丹石流を学んだのち,東軍流,去水流,卜伝流,神道流,新陰流などの諸流を学び,雖井蛙(井蛙)流兵法を開く。化顕流,安心流の居合2流も創流したという。雖井蛙流は,角馬が学んだ諸流への返し技で構成されており,鳥取藩の剣術の主流となる。戊辰戦争で活躍し,のち大久保利通暗殺事件に連座した松田秀彦も同流門下。角馬は牡丹の栽培も好んだというが,妥協を好まぬ性格で,娘の恋愛のこじれから相手方の親子を斬殺し,それがもとで切腹した。

(甲野善紀)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「深尾角馬」の解説

深尾角馬 ふかお-かくま

1631-1682 江戸時代前期の剣術家。
寛永8年生まれ。因幡(いなば)鳥取藩士。父河田理右衛門より丹石(たんせき)流をまなび,井蛙(せいあ)(雖井蛙)流の開祖となる。同流は鳥取藩剣術の主流となった。娘のことから人を殺害し,天和(てんな)2年10月27日切腹。52歳。名は重義(しげよし)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android