作家、登山家。石川県大聖寺(だいしょうじ)町(現加賀市)に生まれる。東京帝国大学在学中の1926年(大正15)より3年間、改造社に勤務。『津軽の野づら』(1935)連作により文壇に登場、『鎌倉夫人』(1937)、『親友』(1943)、『知と愛』(1953)などを発表。一方、山岳紀行・随想に生来の個性を発揮して『わが山山』(1934)、『山岳展望』(1937)などを刊行。第二次世界大戦後は名山巡礼の山旅を続けるとともに、ヒマラヤ登山の黄金時代と相まってヒマラヤ研究に没頭し、『日本百名山』(1964)、『ヒマラヤの高峰』(1964~65)を完成した。甲州茅(かや)ヶ岳の登山中に死去。
[近藤信行]
『『深田久弥・山の文学全集』全12巻(1974~75・朝日新聞社)』▽『中島健蔵著『深田久弥』(『現代作家論』所収・1941・河出書房)』▽『高辻謙輔著『日本百名山と深田久弥』(2004・白山書房)』▽『大森久雄著『山の旅本の旅・登る歓び、読む愉しみ』(2007・平凡社)』
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作家,登山家。石川県大聖寺生れ。東大哲学科在学中から《新思想》《文学》同人となり,1930年《文芸春秋》に発表した《オロッコの娘》で小説家としての地位を確立,大学は中退した。一方,小学生のときから親しんだ登山に第一高等学校在学中本格的に取り組み,第2次大戦後の58年にはジュガール・ヒマール探査,66年シルクロード学術踏査など内外を旅行し,優れた随筆紀行を著した。《日本百名山》(1964)は読売文学賞を受賞し,《ヒマラヤの高峰》は日本人のヒマラヤ登山の必読書となった。71年山梨県の茅ヶ岳登山中脳出血で急死,ヒマラヤ関係の蔵書は国立国会図書館に移蔵された。
執筆者:徳久 球雄
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