日本歴史地名大系 「清助町」の解説
清助町
せいすけまち
[現在地名]能代市清助町
能代町の西端、北に
享保一五年の「六郡郡邑記」に「元禄年中川向旧能代より移る。清助と云肝煎相勤に付町名とす、百七十二軒」とある。野代山王社由来記は日吉神社の縁起に関係する漁師の名をとり、「専介町」と記している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
能代町の西端、北に
享保一五年の「六郡郡邑記」に「元禄年中川向旧能代より移る。清助と云肝煎相勤に付町名とす、百七十二軒」とある。野代山王社由来記は日吉神社の縁起に関係する漁師の名をとり、「専介町」と記している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新