清澄庄(読み)きよずみのしよう

日本歴史地名大系 「清澄庄」の解説

清澄庄
きよずみのしよう

康平三年(一〇六〇)官宣旨(東南院文書)に「清澄庄者、是従本願聖霊御施入已来(下略)」とあり、いわゆる天平勅施入に始まるといわれる東大寺領荘園である。

天暦四年(九五〇)東大寺封戸荘園并寺用帳(東南院文書)では「添下郡清澄庄田地廿七町二段七歩」とあり、面積が知られる。

その所在は、建治元年(一二七五)の清澄庄検田帳(東大寺文書)では、京南四条一里(七)・二里(二七)、五条一里(一)・二里(四)となる(括弧内は坪数)。これはほぼ正方形地形で、現本庄ほんじよう町・すぎ町辺りに比定される。面積は約二二町である。このほかに、天喜五年(一〇五七)の清澄庄解案(東大寺文書)によると、京南一条二里七坪・一七坪・二〇坪・二八坪・二九坪の田地が荘内にあったことが考えられる。これは現ほん町辺りである。その面積は不明であるが、五坪にわたる。この地域の荘田は右五坪のみかどうかわからないが、清澄庄は右の二地域からなるものであったろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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