猥褻(読み)ワイセツ

デジタル大辞泉 「猥褻」の意味・読み・例文・類語

わい‐せつ【××褻】

[名・形動]
みだらなこと。いやらしいこと。また、そのさま。「猥褻な話」「猥褻な記事」
法律で、いたずらに人の性欲を刺激し、正常な羞恥心しゅうちしんを害して、善良な性的道徳観念に反すること。「公然猥褻」「猥褻物」
[派生]わいせつさ[名]
[類語]卑猥ひわい淫猥いんわいいやらしい淫靡いんび淫乱みだらみだりがわしいいかがわしいエロチックエッチ官能的肉感的扇情的性的あだっぽい色気なまめかしい色っぽいあだ色香艶っぽいあでやか濃艶妖艶あで姿セクシーチャーミングコケットリーコケティッシュエロセクシュアル不身持ち不品行ふしだら不行状不行跡淫蕩好きしゃ好きもの色好み色情狂色気違い自堕落エロい好色多淫放蕩遊蕩邪淫荒淫姦淫かんいん淫奔いんぽん漁色酒色すけこましジゴロ尻軽きわどい淫婦女たらし女狂い

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精選版 日本国語大辞典 「猥褻」の意味・読み・例文・類語

わい‐せつ【猥褻】

〘名〙 (形動) 下品でみだらなこと。特に、性欲に関することを不健全な方法・態度で扱うこと。人の情欲を刺激するようなみだらなこと。また、そのさま。
※授業編(1783)八「ずいぶん猥褻に遠ざかり清雅なるやうに作るべし」
当世書生気質(1885‐86)〈坪内逍遙〉一〇「あんまり猥褻(ワイセツ)に渉るとわるいで」

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改訂新版 世界大百科事典 「猥褻」の意味・わかりやすい解説

猥褻 (わいせつ)

一般には,公序良俗に反して淫(みだ)らなことをいうが,教育,宗教,政治,人種,地域,民俗,時代,年齢などで異なる社会文化的規準によって〈猥褻〉に対する考え方が違うので,この語を定義づけることは難しい。英語のobscene(猥褻な)の語源はラテン語のobscenus(悪魔的外観の,不潔な)である。《ブリタニカ百科事典》ではobscenity(猥褻)の項目は第11版(1910-11)で初めて現れ,約半ページ記載されている。当時もこのことばの意味はきわめてあいまいだと断ったうえで,〈慎み深さとか上品さに反するもの,みだらで好色を思わせるもの,けがらわしくて下品で色好みなもの〉を指すと書かれている。法律上は,さらに不道徳な影響を与える点が加味されたらしい。

 定義が時代によって変わることは裁判の判決を見てもわかる。アメリカでは,ニューヨークの雑誌に掲載したときは猥褻だとして発禁となったジョイスの《ユリシーズ》(1922)は1933年に猥褻でないとされ,ロレンスの《チャタレー夫人の恋人》(1928)は59年まで,ミラーの《北回帰線》(1934)は61年まで,フランス映画《恋人たち》(1958)は64年まで,猥褻とされ規制を受けていた。

 マリノフスキーが1914-18年にメラネシアトロブリアンド諸島で調べた結果によれば,島民は親の性交を子どもに隠さず,男児は10歳,女児は6歳くらいで性交その他の性行動を始めるのを無邪気な娯楽とみなし,性を猥褻と考えてはいない。

日本でも昔は猥褻という概念がなかった。《古事記》には〈我が身は,成り成りて成り余れる処一処あり。故(かれ),此の吾が身の成り余れる処を以ちて,汝が身の成り合わざる処に刺し塞ぎて……〉とあるし,《日本書紀》にも〈吾が身の元(はじめ)の処を以て,汝が身の元の処に合せむと思欲(おも)ふとのたまふ。是(ここ)に,陰陽(めお)始めて適合(みとのまぐわい)して夫婦(おうとめ)となる〉とあからさまに性交が記されている。女神アメノウズメノミコトが天の岩屋戸(あまのいわやど)に隠れた天照大神(あまてらすおおかみ)を引き出すために,乳房を露出し,裳(も)(スカート)を腟口まで押し下げて裸で乱舞したという《日本書紀》の記述もあらわな性的描写である。性器崇拝に基づく陰陽(いんよう)石,土偶,道祖神などのほか,中世の《小柴垣草紙》《袋法師絵詞》などの愛欲絵巻,平安時代の偃息(おそく)図(春画),《医心方》《病草紙》,陽物くらべ(ペニス・コンクール),近世の枕絵・あぶな絵などの秘戯画,浮世絵などでも,性を堂々と表現してはばからなかった。しかし,1722年(享保7)に幕府は心中事件などの板行を禁じ,さらに90年(寛政2)に,老中松平定信は好色本などの出版を厳しく取締り,洒落本作者で浮世絵師の山東京伝が手鎖(てじよう)の刑にあっている。しかし性的川柳を集めた《誹風末摘花(はいふうすえつむはな)》(1776-1801,《末摘花》ともいう)は発行され続け,近代になってから猥褻文書に指定されて,第2次大戦後の裁判で猥褻ではないとされるまで発行を禁じられた。

イギリスでは,フランス革命の伝染を恐れて1789年にキリスト教道徳が強化され,翌年には性的なことも悪いとされて,猥褻という概念が広まり始めた。18世紀末から19世紀初頭にかけてのロマン主義は,再び性を自然なもので淫らではないとしたが,1840年ころになると,〈理性と革命〉(フランス革命,産業革命,科学革命)に対する反動がおき,自由恋愛,産児制限,女権拡張,結婚改革といった進歩的思想に反対するビクトリアニズムと呼ばれるピューリタン的行動規準が一般化した(〈ビクトリア時代〉の項参照)。性を口にするのは恥ずべきこととされたので,女の脚を連想させるからといってピアノの脚にズボンをはかせたり,legs(脚)の代わりにlimbsを,breasts(乳房)の代わりにbosom(胸部)という単語を使ったほどである。ボウドラーThomas Bowdler(1754-1825)は,出版物から性に関する部分をすべて削除しようとしたので,bowdlerize(わいせつ部分を削る)という新語ができた。《ファミリー・シェークスピア》(1818)は,彼が編集した性抜きの出版物である。S.ツワイクの《昨日の世界》(1943)には,1880年代のウィーンにおける猥褻観が描かれており,海水浴でさえ男女別々の水域で着衣のまま行われたことなどが記されている。しかし,厳しい猥褻観の裏では,《わが秘密の生涯》《パール》などのポルノグラフィーがはんらんし,浴場には覗き穴がたくさんあけられ,1851年にはイングランドウェールズで成人女子の約10%が私生児を産み,人口236万人のロンドンでは5000人の売春婦が40万人の男と関係していたという。

 猥褻を法的に禁止するのは比較的新しい考えであり,19世紀以前のイギリスでは,宗教や政治に反する内容を含まぬ限り,性的文書自体が罰せられることはなかった。イングランドで初めて猥褻が法により禁じられたのは57年である。アメリカで1800年代初期に猥褻を法で禁じたのは,マサチューセッツ州1州にすぎず,触法者も2例だけだった。42年にはフランスからの春画絵はがき輸入を取り締まる法律が連邦で施行された。アメリカの30州が同様な法を施行したのは19世紀末であり,全州に及んだのは20世紀半ばのことである。ナチス・ドイツは,1933年に猥褻な文書・絵・上演,ヌーディズム,避妊器具自動販売機を禁じ,同性愛者処罰を強めて,みかけ上の〈清潔な帝国〉をつくったが,裏面では虐殺や性的乱行,強姦などが横行していた。

男女の性に関する事がらを,不健全で淫らでけがらわしいと見なすのは偏見であり,〈猥褻〉はそれを取り締まる人の頭の中に存在するもので,それ自体が猥褻だというものはこの世に存在しない。そうだと思えば,木の股でも煙突でもすべてが猥褻に見えるし,異性の存在自体を猥褻といわなければならなくなる。
執筆者:

政治権力が性の行為や表現を規制するのは珍しいことではないが,近代の法律では,性の扱いが直接的な〈猥褻〉と間接的な〈風俗壊乱〉という2概念のもとで規制が展開される。

 もともと,政治権力が性の規制を行う正当な動機はなにか,規制はどの程度まで許容されるべきであるのかについては立法政策上の議論が多い。一方の極には,政治による介入を原理的に排斥しようとする解放主義思想の潮流があり,最近では,性の問題をライフ・スタイル選択と考えて,私事(プライバシー)に含める考えも有力である。これらの立場からすれば,人間の性行為やその表現は本来自由であり,国家の介入は野蛮で危険な人権侵害といえる。他方の極には,性を罪悪視した19世紀的発想や,性行為はほんらい人目を忍んで行われるべきであると科学的根拠も不十分に断定する〈性行為非公然性の原則〉の立場がある。こちらでは,社会の秩序や風俗を守るために,規制が全面的に認容される。両者の中間に,人間の自由と社会秩序の双方に配慮しようと考えるさまざまな立場がある。青少年保護の観点から青少年との性行動や,青少年に対する性的表現物の頒布・販売の禁止を正当視するパターナリズム,性やその表現物の商品化を禁止しようとするパンダリング理論,アブノーマルな性行動に限って規制しようとする正統主義の立場などがそれである。性の全面的な解放を急速に実現するのは難しいにしても,規制はなるべく限定されることが望ましい。

 性表現の規制は表現の自由との関係で複雑な議論を呼び起こす。法律上の概念としての猥褻表現は,古くは扱っている対象によって判断され,性に関する表現そのものが規制されたが,のちに,描写方法で判断されるように変わった。猥褻は,〈性欲を刺激興奮し又は之を満足せしむべき〉もので〈人をして羞恥嫌悪の観念を生ぜしむるもの〉(1918年の大審院判決),あるいは,(1)〈徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ〉,(2)〈普通人の正常な性的羞恥心を害し〉,(3)〈善良な性的道義概念に反するもの〉(チャタレー裁判の最高裁判決(1957))と定義される。しばしばこれは3要素説といわれるが,(1)(2)(3)は総合的に判断されるのであって一つずつの要素の有無が個別に検討されるのではない。この点アメリカでは,表現の自由に大きく傾斜した1957年の〈ロス判決〉で,(1)文書の支配的テーマが好色的興味に訴えるものであること,(2)明らかにいやらしい表現であること,(3)まったく社会的価値を持たないこと,の3要素説が,またロス判決を規制強化の方向で修正した1973年の〈ミラー判決〉以後は,(1)全体を通じて平均人の好色的興味に訴えるものであること,(2)法律で示された性行為を明らかにいやらしい方法で表現していること,(3)真面目な文学的,宗教的,政治的,科学的価値を持たないこと,の3要素説が採用された。アメリカ的な基準では,3要素は相互に独立して判断される。

 猥褻な表現であるか否かは,結局,普通人の正常な性的羞恥心や道義観念に反するかどうかで決まる。普通人とは表現物に接すると考えられる者のなかでの普通人であり,表現物の種類によって異なる。また,性についての社会通念や道義概念は,現実の社会にいる平均人ではなく裁判所が〈普通人〉と考えるものの判断,つまり裁判官の判断によって決定される。法律学でいう〈法律問題〉である。

 裁判官の価値観と実際の市民的常識が違った場合には,市民は,古い感覚の持主によって自由な表現が妨げられていると感じやすい。最高裁判所は,前述のチャタレー裁判の判決で,国民の倫理感覚が麻痺して,真に猥褻なものを猥褻と感じずにむしろ歓迎するようなことがあっても,裁判所はこれに害されずに,本来あるべき市民の立場から,臨床医的関心をもって判断すべきであるとの立場を示した。現実の市民は価値観がゆがんでいて裁判官だけが正しいという考えは独善にすぎて維持できるはずもなく,最近では,猥褻な表現とそうでないものとの境界が時代・社会によって変化することが判例上も広く承認されている。

 猥褻な表現はそれがどのような脈絡でなされても猥褻だとするのが絶対的猥褻概念であり,本来猥褻な表現も,芸術作品,学問的著述などの中では,猥褻性が芸術性や学問性に昇華されて猥褻でなくなるとするのが相対的猥褻概念である。日本では,チャタレー裁判第一審判決以来,後者を支持する学説が少なくなく,絶対的猥褻概念に立つ最高裁判所判例と対立している(最高裁判所でも,1969年の《悪徳の栄え》裁判(サド裁判)では,相対的猥褻概念をとる少数説があらわれた)。

 刑法175条(わいせつ物頒布等の罪。なお,1995年刑法の表記現代化により,従来の〈猥褻〉は〈わいせつ〉と改められた)と映倫審査の関係も問題がある。映倫審査を通過して一般映画館で上映されたのに猥褻物として摘発された映画《黒い雪》事件で,東京高等裁判所判決(1969)は,社会的に高い評価を受けていた映倫審査といえども,裁判所が社会通念を判断する一資料にすぎないとして,有罪判決を下した。

 猥褻な表現物の規制には,関税定率法によるいわゆる税関検閲も関連する。最高裁判所判決(1984)は,〈風俗を害すべき〉物品は猥褻物に限られると解釈したので,関税定率法による輸入禁止処分の基準は,刑法175条による国内での規制基準と一致する。元来〈風俗ヲ害スベキ〉という概念は,猥褻規制の周辺を固めて,猥褻に至らない方法で,性行為や不倫や避妊などについて社会の秩序や道義観念を混乱させるような態様で描くことを規制する趣旨のものであったから,最近の態度は限定解釈といえる。
検閲 →表現の自由
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世界大百科事典(旧版)内の猥褻の言及

【ポルノグラフィー】より

…語源はギリシア語のpornographosで〈娼婦pornēについて書かれたものgraphos〉を意味する。それはやがて,英語でいうobscene(猥褻(わいせつ))な文学のことになった。obsceneの原義は,〈scene(舞台)からはずれたもの〉つまり舞台では見せられないもののことであるという。…

※「猥褻」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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