猪倉城跡(読み)いのくらじようあと

日本歴史地名大系 「猪倉城跡」の解説

猪倉城跡
いのくらじようあと

[現在地名]今市市猪倉 寺沢

中猪倉の北、木和田島きわだしまとの境界の尾根、通称観音かんのん(寺山)の山頂(四二〇メートル)にある。土塁の一部が雷神の祠を中心に残る。南西の一隅には物見台様の小土塁も残る。築城は正応年間(一二八八―九三)鹿沼権三郎入道によるとも、大永年間(一五二一―二八)鹿沼教清の家臣鹿沼右衛門により、鹿沼城の支城として築かれたとも伝える。天正四年(一五七六)当時鹿沼城の壬生氏は宇都宮氏に従っており、当城は小田原北条氏と結ぶ日光山勢力への先鋒の位置にあった。同四年に壬生綱雄を暗殺した壬生徳雪斎は綱雄の子義雄に敗れ、鹿沼右衛門の拠る当城も義雄方に攻略され、右衛門は多気たげ(現宇都宮市)へ逃げる途中、手岡ちようかで討たれたという(押原推移録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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