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評論家、翻訳家。鳥取県生まれ。東京帝国大学美学科卒業。1906年(明治39)在学中に『小栗風葉論(おぐりふうようろん)』でデビュー。翌1907年、馬場孤蝶(こちょう)、森田草平(そうへい)らと閨秀(けいしゅう)文学会をつくり、受講者中に平塚らいてうらがいて、のち『青鞜(せいとう)』(長江の命名)発刊の契機となる。処女評論集『最近の小説家』(1912)は夏目漱石らについての作家論集。1909年ニーチェの『ツアラトウストラ』の翻訳に着手、森鴎外(おうがい)とも交わる。ダンヌンツィオ『死の勝利』、フロベール『サラムボオ』、ダンテ『神曲』などの訳業のほか、『ニイチエ全集』全12巻(1918~1928)刊行の業績は大きい。自然主義、白樺(しらかば)派批判を経て社会主義思想への接近、ついで仏教思想へと関心が移った。佐藤春夫ら新人を育て、青年層に人気があった。小説に『落花の如(ごと)く』(1922)、戯曲に『円光』(1917)などもある。
[高橋世織]
『『現代日本文学体系 40 生田長江他集』(1973・筑摩書房)』
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(中島国彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
評論家,翻訳家。鳥取県生れ。本名は弘治。東大美学科在学中に上田敏,馬場孤蝶らとともに《芸苑》同人となり,1906年,同誌に発表した〈小栗風葉論〉で論壇の注目をあつめた。その後,孤蝶,森田草平らと与謝野晶子をいただく閨秀文学会をおこして《青鞜》発刊のきっかけをつくり,ニーチェの《ツアラツウストラ》(1911),ダヌンツィオの《死の勝利》(1913)の翻訳を出すなど,多彩な活動を展開した。大正期に入ってからは,社会主義に共鳴して堺利彦,大杉栄らと交わったこともあったが,ニーチェ流の超人主義の立場は終生変わらなかった。代表的な評論集に《超近代派宣言》(1925)がある。
執筆者:前田 愛
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…また森鷗外によるゲーテの《ファウスト》の完訳(1913)は,日本の読者にドイツ文学の代表作を提供するものとなった。生田長江の《ツァラトゥストラ》訳(1911)をはじめとするニーチェの翻訳紹介も大きな反響をよびおこし,とりわけ萩原朔太郎にその影響が認められる。茅野蕭々(1883‐1946)の《リルケ詩抄》(1927)は名訳の評判が高く,堀辰雄や立原道造をリルケの世界に近づけた。…
※「生田長江」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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