田利村(読み)たりむら

日本歴史地名大系 「田利村」の解説

田利村
たりむら

[現在地名]三良坂町田利

茅瀬かいぜ村の東北に位置し、村南半の中央を東南から西北尾根が細長く延びるが、それを囲繞するように上下じようげ川が大きく迂回して流れる。集落は尾根の山際と、上下川北の字野曾原のぞはらに点在する。元和五年(一六一九)の備後国知行帳に「多里村」として三六一・六五石を記す。「国郡志下調書出帳」に「公儀江者多里村と書上り来り申候」とある。村名は田利八幡神社蔵の木造神像墨書銘に「源中納言律師御房、応永十二年八月二十八日、三谿郡多利村道場来臨而、弥陀尊並皇太子形像作畢」とみえるのが古く、また同じ応永年間(一三九四―一四二八)に守護山名常熙が山内熙通に宛てた書状(山内首藤家文書)に「津口庄半済、湯谷跡并広沢多利跡事、為三河内給分、奈目良給分替之地、相計候、可有知行候、多利か在所事、能々相尋候て、書下をハ重可遣候」とあり、広沢氏の支配下にあった多利の地が、一時山内氏に宛行われたことが知れる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報