改訂新版 世界大百科事典 「甲州征伐」の意味・わかりやすい解説
甲州征伐 (こうしゅうせいばつ)
1582年(天正10)に織田信長が甲斐の武田勝頼を滅ぼした戦い。1573年(天正1)信玄の没後武田家をついだ勝頼は,75年に長篠の戦で織田信長,徳川家康の連合軍に敗れ,以後武田家は衰退に向かった。これに対し信長は82年2月に武田氏追討の兵をおこし,主力の織田信忠軍は木曾口と岩村口から進撃して,伊那の諸城を次々に陥れた。また家康も駿河口から攻撃を開始し,武田氏の一族穴山梅雪を味方にした。こうした状況の中で諏訪まで出陣していた勝頼は,2月28日に前年より築城していた新府城に帰り,3月3日には郡内の領主小山田信茂の意見に従い城に火を放ち大月の岩殿城に向かった。勝頼を裏切った信茂は9日に人質を奪って逃げ,勝頼一行に鉄砲を撃ちかけたので,勝頼は死を覚悟し,祖先ゆかりの天目山を目ざし田野に至ったとき,滝川一益,河尻秀隆の軍に攻められて戦い,11日に夫人や子息信勝とともに自刃した。
→天目山の戦
執筆者:笹本 正治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報