盛巌寺(読み)せいがんじ

日本歴史地名大系 「盛巌寺」の解説

盛巌寺
せいがんじ

[現在地名]西尾市馬場町

馬場ばば町の通りに沿い、集落のなかにある。久昌山と号し、曹洞宗本尊は聖観音菩薩。天正一八年(一五九〇)大給松平六代家乗が、上野国那波なは(現群馬県伊勢崎市)に祖父親乗・父真乗の菩提のために二人の法名をとって久昌山盛巌寺を建立、雄山伝英を開山とする。高一五石を与える(濃州岩村盛巌寺書物)。以後、大給松平氏の転封ごとに移され、明和元年(一七六四)西尾に移る。

盛巌寺
せいがんじ

[現在地名]岩村町 殿町

旧武家町の中央にある。久昌山と号し曹洞宗。本尊釈迦如来。天正一八年(一五九〇)松平家乗が祖父宝源院殿久山浄昌大居士、父梅香院殿盛巌通翁大居士の法号から山号寺号をとり、上野国那波なは(現群馬県佐波郡)に開いたと伝える。開山は雄山伝英。慶長六年(一六〇一)家乗の岩村入封に際し、現在地に移建、体岩が三世となる。寛永一五年(一六三八)松平乗寿浜松はままつ(現静岡県浜松市)へ国替となり、四世乾中は霊牌を奉じてこれに従った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報