朝日日本歴史人物事典の解説
生年:
生年不詳
没年:
康平4以降(1061)
平安時代の歌人。源頼光の娘,養女ともいう。母は慶滋保章 の娘。最初女房として出仕,乙侍従と呼ばれたが,大江公資の妻となり,夫の任国の相模に下向,相模と呼ばれる。夫との仲は破綻し,箱根権現参詣の際に奉納した「走湯百首」には満たされない心中を訴えた作が多い。これに対し権現の僧より返歌100首が寄せられ,相模は再度100首を奉納。百首歌の贈答は例が少なく,ひたむきに心情を訴えたその作風とともに注目される。帰京後,思いを寄せていた藤原定頼と一時交渉を持ち,やがて脩子内親王家に出仕。長元8(1035)年の賀陽院水閣歌合で賞賛を受け,以後多くの歌合に出詠。男性歌人と並ぶ歌壇の中心として活躍,藤原範永など若い受領層歌人たちの指導者ともなった。『後拾遺集』以下の勅撰集に100首以上が入集。『相模集』などの家集が残る。<参考文献>武内はるゑ他『相模集全釈』
(山本登朗)
デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
相模 さがみ
 
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平安時代中期の歌人。
長徳4年(998)ごろの生まれ。一説に源頼光(よりみつ)の養女。乙侍従(おとじじゅう)とよばれたが、相模守(さがみのかみ)大江公資(きんより)と結婚して相模とよばれる。のち公資と不仲となり、脩子(しゅうし)内親王につかえ、内裏歌合(だいりうたあわせ)などで歌をよんだ。「後拾遺和歌集」などの勅撰集に100首以上おさめられている。中古三十六歌仙のひとり。家集に「相模集」。
【格言など】恨みわび干さぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ(「小倉百人一首」)
デジタル大辞泉の解説
さがみ【相模/相摸】
旧国名の一。今の神奈川県の大部分に相当する。相州。
「相模女」の略。
さがむ【相模】
相模(さがみ)の古称。
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