(1)能の曲名。四番目物。世阿弥作。シテは芦屋なにがしの妻。九州の芦屋なにがし(ワキ)は訴訟のために上京して久しく,国元の妻は帰国を待ちわびている。3年目の秋,初めて帰国したのは侍女の夕霧(ツレ)一人だった。妻は夫の無情を嘆くが,せめてもの慰めにと,里人の打つ砧を取り寄せて打ちながら,この音がわが思いを乗せて都の夫の心に通じるようにと念じるのだった。だが今年も帰国できないという知らせを聞き,妻は病となり,ついに命を落とす。帰国した夫がそれを知って弔うと,妻の亡霊(後ジテ)がやつれ果てた姿で現れる。妻は,恋慕の執心にかられたまま死んだために,地獄に落ちていたのだが,いまだに夫が忘れられず,恋と恨みの半ばするやるせなさを夫に訴え,そのつれなさを責めるが,読経の功徳で成仏する。砧の一段は聞かせどころ,見せどころであり,晩秋のもの悲しさを背景に女心をしみじみと描き出す。後段も女の執念をしっかりととらえている。
執筆者:横道 万里雄(2)河東(かとう)節の曲名で,《きぬた》と表記する。能の《砧》の一部を借りて半太夫節に作られていたのを,初世十寸見(ますみ)河東が河東節に移し古風な雰囲気を伝える。のち4世十寸見河東が1746年(延享3)にこの改作《常磐の声》を作ったが,廃曲。
(3)一中節の曲名で,《擣衣(きぬた)》と表記する。初世宇治紫文作曲か。河東節の歌詞をそのまま移してある。
執筆者:竹内 道敬(4)地歌・箏曲の曲名。佐山検校(?-1694)作曲の三弦曲および生田検校作曲と伝えられる箏曲を源流とする。砧の擬音的表現を主題とする4段構造の器楽曲で,能とは無関係。箏曲は組歌の付物として,段物とともに伝承されたが,流派による異同もあり,類曲がさまざまに作曲された。そのほかに山田流では,山沢勾当が伝承してきた生田検校の《砧》に基づく平調子の本手に,長谷川検校が雲井調子の替手を付けたものが《四段砧》として行われている。一方,京都においては,本調子の本手に,三下りの替手を付して,三弦曲の《四段砧》として行われるが,他からは《京砧》と呼ぶ。ほかに,関西で行われる三弦の地を合わせる箏曲の《二重砧》,山田流中能島派に伝承されている三弦曲の《新砧》もある。以上は,すべて4段構造であるが,光崎検校は《六段の調》の5段目を応用した第5段を加え,全体に本雲井調子の替手を付けて,《五段砧》とした。その他,島住勾当作曲の三弦曲《三段砧》もある。これらの曲には,佐山検校作曲の手事物《三段獅子》の前歌《うかれめ》と初段とを前奏として付すことがあるが,《新砧》は,《八千代獅子》ないし中能島欣一作曲の前奏が付される。以上の楽曲を総称して〈砧物〉と分類することも可能で,これに宮城道雄以降の新作や,他の砧を題材とする曲をも含めることもある。
執筆者:平野 健次
織った布または洗濯した布や着物をたたいてやわらかくし,同時に目をつめて,艶を出すのに用いる道具。〈きぬた〉は〈きぬいた〉の略であるという。木の板あるいは石の上で木の槌を持って布を打つ。今日でも木綿や麻布などは打布機を用いてこれをたたき,いわゆる砧仕上げをするが,以前はみなこの砧で打ったもので,秋の夜長の仕事として婦人が多く行った。その音が遠く近くひびく詩情をよんだ歌や俳句が多い。砧はもともと中国から伝わったもので,中国では擣衣(とうい)といい,古くから詩にうたわれている。朝鮮では夏,洗濯した衣類にのりをつけて艶出しをするのに現代も行われ,石の上で両手に棒を持ってたたく。日本の砧は麻,木綿のような粗目(あらめ)の織物に多く用いられたが,古くは絹もこれで打って光を出した。十二単(じゆうにひとえ)の一具の中の打衣(うちぎぬ)は,こうして艶を出した綾を用いたものである。
執筆者:山辺 知行
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