主としてユダヤ教やキリスト教において,信者を教会から除外追放して,さまざまな懲罰を科すこと。英語ではexcommunicationといい,文字どおり〈交わりcommunicationを断つex〉ことがその原義。一般に破門には〈小破門minor excommunication〉と〈大破門major excommunication〉とがあって,小破門は期限つきで救済の処置がとられているが,大破門は他の信者とのいっさいの交通の禁止,現在のみならず来世にわたっての教会からの排除を意味した。ヨーロッパの中世社会では,ローマ教皇は国王との権力闘争のなかでしばしば破門権を行使した。たとえばグレゴリウス7世によるドイツ王ハインリヒ4世の破門(カノッサの屈辱,1077),インノケンティウス3世によるイギリスのジョン欠地王の破門(1213)はよく知られている。しかし宗教改革以後,プロテスタント諸教会は破門を制度化することをしなかった。ユダヤ人の哲学者スピノザも教会から破門された一人であったが,そのとき発せられた破門状には,毎日毎夜,何時いかなるときにおいても〈呪われてあるべし〉という文言がくり返し記されていた。すなわち教会からの追放は呪われた存在になることであり,破門は同時に〈宗教上の公式の呪詛(じゆそ)〉(アナテマanathema)を意味したのである。日本ではヨーロッパのそれに対比できる破門の事例は少なく,わずかに15世紀以降,異安心(異端の信仰)の者を追放に処した本願寺教団においてみられるにすぎない。なお破門には,師弟の縁を切って門弟を追放する意味もある。そのような事例は古今東西に多いが,日本では1680年(延宝8)の浅見絅斎(けいさい)と佐藤直方が山崎闇斎によって崎門学派から排除された事例が有名である。
→異端
執筆者:山折 哲雄
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原語のexcommunication(ラテン語excommunicatio)は文字どおり「コミュニケーションの外にあること」、つまりcommunion(交わり)の停止、community(共同体)からの排除を意味する。通常宗教用語として使用され、信仰共同体からの除外、聖職者資格の剥奪(はくだつ)、宗教儀礼への参加禁止など、種々の形態がある。
仏教の破門は、比丘(びく)・比丘尼(に)を教団・宗派から追放すること、あるいは師僧が弟子との師弟関係を断つことをさす。僧伽(そうぎゃ)からの永久追放は、淫行(いんこう)・窃盗(せっとう)・殺人など重大犯罪を犯した場合で、『戒本』に定められている。仏教では破門は教団統一の手段であるから、共同生活の持続や道徳的規準の堅持に重点が置かれ、個々の信仰内容の問題で破門に付されることはない。
破門をめぐっては、キリスト教とくにローマ・カトリック教会の事例が代表的である。破門の精神はたとえば『コリント書I』(5章1~13)にあるように、元来懲戒的意味をもっている。カトリック教会では破門に関する教会法が制定され、初めは矯正的意味が強かったが、中世には法的処罰の性質が増し、大破門・小破門の区別が設けられた。現在はこの区別は廃されている。歴史上の事件としては、ドイツ王ハインリヒ4世の破門、宗教改革者ルターの破門などがある。プロテスタントでは『教会の戒規』による陪餐(ばいさん)停止が破門に該当する。
[赤池憲昭]
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カトリック教会の罰則。使徒時代より異端者,棄教者に課され,教会共同体からの除外を宣する。中世では特に儀式を伴う場合をアナテマ(詛斥(そせき))と称した。教皇権と対立した君主が破門を受けると,臣下は封建的忠誠義務を解かれるので,事実上君主の廃位を意味した。教皇のほかに司教にも破門権があり,聖務の一時停止(インターディクト)も行われた。
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