日本歴史地名大系 「礼髭村」の解説
礼髭村
れいひげむら
近世から明治三九年(一九〇六)まで存続した村。レヒゲともよんだ(「地名索引」内務省地理局)。近世は東在の一村で、北方は
寛永一八年(一六四一)村上系松前氏を継いだ松前広(二代藩主松前公広四男、延宝二年家老就任)が拝領し、のち同家の代々の知行所となっている(「福山秘府」、元禄一三年支配所持名前帳など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
近世から明治三九年(一九〇六)まで存続した村。レヒゲともよんだ(「地名索引」内務省地理局)。近世は東在の一村で、北方は
寛永一八年(一六四一)村上系松前氏を継いだ松前広(二代藩主松前公広四男、延宝二年家老就任)が拝領し、のち同家の代々の知行所となっている(「福山秘府」、元禄一三年支配所持名前帳など)。
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