神峰山寺(読み)かぶさんじ

日本歴史地名大系 「神峰山寺」の解説

神峰山寺
かぶさんじ

[現在地名]高槻市原

神峰山の南西麓にあり、紅葉の名所として知られる。天台宗、根本山宝塔院と号し、本尊毘沙門天。神峰山は北方の霊雲院本山ほんざん寺周辺から、京都市西京区にまたがるポンポン山をも含む一帯をいう。天台系修験行場として知られた。寺蔵の長寛二年(一一六四)八月一五日忍恵が録したという神峰山寺秘密縁起によれば、役行者が葛城山中より、葛城山と北方の嶺とに金色の光が往来するのをみて当山を訪れ、地主神金毘羅童子のお告げにより伽藍建立、霊木を得た。金毘羅童子はこの木で四体の毘沙門天を作り、最初の像は動かず本院である宝塔ほうとう院の本尊となった。次の像は北東に飛去り鞍馬寺の本尊、第三の像は信貴寺の本尊、第四の像は北峰に飛去り奥院霊雲れいうん院の本尊になったという。当山では毎年春夏秋に、本院では胎蔵界、奥院では金剛界が勤修され、修験の霊場となった。宝亀五年(七七四)開成皇子弥勒寺(現箕面市勝尾寺)より入山

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「神峰山寺」の意味・わかりやすい解説

神峰山寺
かぶさんじ

大阪府高槻(たかつき)市原にある天台宗の寺。根本山(こんぽんさん)宝塔院(ほうとういん)と号する。697年(文武天皇1)役行者(えんのぎょうじゃ)の開創と伝える。774年(宝亀5)光仁(こうにん)天皇の皇子で桓武(かんむ)天皇と連枝である開成(かいじょう)が入寺し、七堂伽藍(がらん)を建立し、当寺を中興した。それ以来、明治天皇に至るまで歴代天皇の勅願所であった。江戸時代には延暦寺(えんりゃくじ)の末寺とされ、幕府から朱印地を給された。本尊は毘沙門天(びしゃもんてん)で、毎月8、15日の縁日には商売繁盛、開運厄除(やくよけ)を祈願して参詣(さんけい)者が集まる。寺宝の阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)、聖観音(しょうかんのん)立像2躯(く)が国の重要文化財に指定される。

[大鹿実秋]

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