神戸城跡(読み)かんべじようあと

日本歴史地名大系 「神戸城跡」の解説

神戸城跡
かんべじようあと

[現在地名]鈴鹿市神戸本多町・神戸二丁目・同四―六丁目

神戸町家の南にあり、周辺は水田地帯である。天文(一五三二―五五)末から弘治(一五五五―五八)の間に、神戸氏がこれより南西さわ城から移って築城したものである。当時の規模は不明であるが、県史跡の天守台付近の約八〇×九〇メートルの高台の一郭と推定される。平山城である。神戸家の養子となった織田信長の三男信孝が、天正八年(一五八〇)従来の城を拡張し、ここに五重の天守閣を築いた(勢州軍記)。やがて信孝が豊臣秀吉に滅ぼされると、文禄四年(一五九五)天守は解体されて桑名城に移され、石垣だけ残ることとなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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