日本歴史地名大系 「神瀬谷村」の解説
神瀬谷村
こうのせだにむら
北流する球磨川に沿った村としては、人吉藩領で最も北端に位置する。東は標高八二七・一メートルの
慶長国絵図に「神瀬村」として二三石九斗余、「神瀬の内 弓のまた 田なし」「神瀬の内 かぢまやしき 田なし」が記され、寛永一一年(一六三四)の郷村高辻帳に「神瀬谷」として、本田高二九石九斗余・新田畑高一五四石五斗余が記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
北流する球磨川に沿った村としては、人吉藩領で最も北端に位置する。東は標高八二七・一メートルの
慶長国絵図に「神瀬村」として二三石九斗余、「神瀬の内 弓のまた 田なし」「神瀬の内 かぢまやしき 田なし」が記され、寛永一一年(一六三四)の郷村高辻帳に「神瀬谷」として、本田高二九石九斗余・新田畑高一五四石五斗余が記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新