福岡新田(読み)ふくおかしんでん

日本歴史地名大系 「福岡新田」の解説

福岡新田
ふくおかしんでん

[現在地名]上福岡市福岡新田・新田しんでん一―二丁目・南台みなみだい一―二丁目・富士見台ふじみだい中央ちゆうおう二丁目・上福岡三丁目・谷田やたなか

福岡村・中福岡村の南にあり、北東境を新河岸川南東流する。近世初期には福岡村のうちで慶安元年(一六四八)川越藩による検地で分村したと推定される。以後川越藩領(慶応四年川越藩村高帳など)。慶安元年の福岡新田検地帳(上福岡市立歴史民俗資料館蔵)によると田一〇町四反余・畑五町七反余。


福岡新田
ふくおかしんでん

[現在地名]桑名市福岡町

現桑名市の南部にあり、末広すえひろ新田の北に位置する。西は町屋まちや川の河口で、もとは海浜であった所を開発した低湿地。「桑名郡志」には「開発未詳、福地新田ヨリ分離セシトソ」とある。文政六年(一八二三)の郷村高帳写(岐阜県立図書館蔵)に村名と村高が記載されている。同一〇年の桑名領郷村案内帳に鎮守八幡宮を記すが、人家は記録されず、大貝須おおがいす新田の項に含まれている。


福岡新田
ふくおかしんでん

[現在地名]紫雲寺町福岡

中沢なかざわ新田の東に接し、集落は北陸道沿いにある。享保二〇年(一七三五)初検地の紫雲寺潟新田一村。後願人中沢太郎左衛門の請地で、検地の名請人は茂助・角兵衛・佐五郎である。元文元年(一七三六)の検地帳写(間藤精一氏蔵)によれば、高二一六石一斗余・反別二〇町一反余、ほかに除地として荒砂場一町五反余・秣場二反余などがあり、総反別は二二町余。


福岡新田
ふくおかしんでん

[現在地名]上越市山屋敷やまやしき

滝寺たきでら村の北、ふじ新田村との間に位置。天和三年郷帳には福岡村とみえ高三二石二斗余。


福岡新田
ふくおかしんでん

[現在地名]上越市福岡新田

上吉野かみよしの村の北、保倉ほくら川左岸に位置。天和三年郷帳によると高七〇石一斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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