プロ野球選手(外野手:左投左打)。11月7日、大阪府生まれ。1965年(昭和40)、大鉄高(現、阪南大学高)で夏の甲子園大会に出場した。翌1966年に松下電器産業(現、パナソニック)へ入社、2年連続で都市対抗野球に出場した。ドラフト7位で1969年に阪急ブレーブス(現、オリックス・バファローズ)へ入団。2年目の1970年に75盗塁で盗塁王のタイトルを獲得、以後、1982年まで13年連続盗塁王に輝いた。1972年のシーズン最多106盗塁、実働20年で積み上げた通算1062盗塁のプロ野球世界記録は、いずれも大リーグにおいてリッキー・ヘンダーソンに塗りかえられたが、盗塁王獲得回数では1回、上回っている。内野フライでタッチ・アップし、本塁を陥れるほどの走塁センスに、旺盛(おうせい)な探究心で磨き上げた盗塁技術をもち、理想的な1番打者として活躍した。攻守にわたってチームを牽引(けんいん)して、1975年からの3年連続日本一、1978年のリーグ優勝に大きく貢献、阪急の黄金時代を築く原動力となった。1988年に現役を引退。俊足は打撃や守備でも生かされ、通算三塁打115は日本プロ野球記録(2015年時点)で、守備の名手に贈られるダイヤモンドグラブ賞(現、ゴールデン・グラブ賞)も12年連続で受賞した。
[出村義和 2016年9月16日]
20年間の通算成績は、出場試合2401、安打2543、打率2割9分1厘、本塁打208、打点884、盗塁1065。獲得したおもなタイトルは、盗塁王13回、最優秀選手(MVP)1回、ベストナイン10回、ダイヤモンドグラブ賞(現、ゴールデン・グラブ賞)12回。2002年(平成14)野球殿堂(野球殿堂博物館)入り。
[編集部 2016年9月16日]
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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