福満寺(読み)ふくまんじ

日本歴史地名大系 「福満寺」の解説

福満寺
ふくまんじ

[現在地名]麻績村上井堀 山寺

上井堀かみいぼりの北にあり、天台宗。現坂北さかきた村別所の岩殿寺の末寺で、山号は布光山、本尊千手観音

「東筑摩郡村誌」の日向ひなた村の項に「東西四十三間一尺二寸、南北二十二間、面積九百五十坪、天台宗坂北村岩殿寺の末派タリ、村ノ艮ノ方ニアリ、天永三年真海法印創立ナリシガ、其後元禄元年頼祐法師再興ス」とあり、薬師堂については寺地南北三八間、東西八間、面積三〇四坪、嘉祥二年(八四九)慈覚大師創立と書かれている。

寺伝では仁明天皇の代、役行者開基で、伝教大師の弟子慈覚大師の建立といい、また天永三年(一一一二)真海法師の創建ともいわれている。相当の大寺であったことは付近にある寺堂の跡や地名などでもわかり、藤原時代から鎌倉時代にかけての仏像が現存する。

福満寺
ふくまんじ

[現在地名]佐賀市北川副町大字江上

江上えがみ平野の中にある。長尾山と号し、真言宗御室派の寺院で、伝教大師開基との伝えがある。本尊は薬師瑠璃光仏。

竜造寺氏鍋島氏尊崇が厚く、竜造寺氏の流れをくむ多久茂辰夫人も祈祷をした(多久家文書)。建武元年(一三三四)内大臣吉田定房が高城こうじよう寺(現佐賀郡大和やまと春日かすが)にあてた御教書に「江上薬師堂免田壱町」と知行安堵した内容があり、当時江上薬師堂とよばれて高城寺の支配下にあったことがわかる(高城寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「福満寺」の解説

福満寺

(長野県東筑摩郡麻績村)
信州の古寺百選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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