稲津掃部助墓(読み)いなづかもんのすけのはか

日本歴史地名大系 「稲津掃部助墓」の解説

稲津掃部助墓
いなづかもんのすけのはか

[現在地名]清武町加納 城内

清武城の跡地内に建つ板碑。前面に慶長七年(一六〇二)一〇月一八日の年紀とともに「卍 機庵道活坐」とあり、稲津掃部助のほか雪江妙盈大姉・平賀六助・横山彦作・梅岸妙雪禅尼・吉田庄平太・阿万三平の名がみえる。板碑は高さ二メートル、幅六六センチ、厚さ三五センチ。高さが三〇センチで、二メートル四方の台石があるが、昭和二年(一九二七)当時台石はなかったようである(宮崎県史蹟調査)。碑上の人名は掃部助と死をともにしたおもな人々とされる。

稲津掃部助重政は天正二年(一五七四)頃の生れで、伊東氏の家臣、初名勝五郎。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android