日本歴史地名大系 「穴山村」の解説
穴山村
あなやまむら
[現在地名]茅野市玉川 穴山
南部を
「諏訪郡諸村並旧蹟年代記」には「穴山新田 正保元年 嘉兵衛 仁兵衛」とあり、また「諏訪史」によれば、正保三年(一六四六)の開発で、見立役人は塩原三右衛門、草分人は嘉兵衛・仁兵衛とあり、親村は不明である。当新田は江戸時代より
穴山村
あなやまむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
南部を
「諏訪郡諸村並旧蹟年代記」には「穴山新田 正保元年 嘉兵衛 仁兵衛」とあり、また「諏訪史」によれば、正保三年(一六四六)の開発で、見立役人は塩原三右衛門、草分人は嘉兵衛・仁兵衛とあり、親村は不明である。当新田は江戸時代より
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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