立花郷・橘庄(読み)たちばなごう・たちばなのしよう

日本歴史地名大系 「立花郷・橘庄」の解説

立花郷・橘庄
たちばなごう・たちばなのしよう

東庄町域に比定され、東庄(橘庄)前身とされる。久安二年(一一四六)八月一〇日の平常胤寄進状(鏑矢伊勢宮方記)に「相馬・立花両郷」とみえ、千葉常胤が父常重から相馬そうま(現取手市・我孫子市など)とともに伝領した私領であったらしい。保延二年(一一三六)七月一五日下総国司藤原親通が相馬御厨公田官物未進を理由に常重の身柄を拘束し、両郷を親通に譲渡するという文書を作成、常重・常胤父子に署判を強いて奪い取り、次男親咸(親盛か)に譲っている。この事件が決着しないまま、平常時の子常澄が御厨支配を主張、この間隙をぬって源義朝が常重に圧力をかけて奪い、天養二年(一一四五)三月伊勢内宮に寄進している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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