日本歴史地名大系 「竹富村」の解説
竹富村
てーどうんむら
乾隆二年(一七三七)の調査報告(参遣状)によると竹富村は南北二六町・東西一六町余、人口一千七一人で、村番所のある玻座真村(人口七一三人)とその南の仲筋村(人口三五八人)の二小村からなり、風気はよいが石の多い平地で畑地は人口に比して少なく、家の材木も石垣島・西表島などから伐り出した。翌三年食料不足を解消するため、石垣島
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
乾隆二年(一七三七)の調査報告(参遣状)によると竹富村は南北二六町・東西一六町余、人口一千七一人で、村番所のある玻座真村(人口七一三人)とその南の仲筋村(人口三五八人)の二小村からなり、風気はよいが石の多い平地で畑地は人口に比して少なく、家の材木も石垣島・西表島などから伐り出した。翌三年食料不足を解消するため、石垣島
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