竹島(読み)タケシマ

デジタル大辞泉 「竹島」の意味・読み・例文・類語

たけしま【竹島】

島根県、隠岐島おきのしまの北西にある島。男島・女島と付近の岩礁からなる。第二次大戦後、韓国との間で領土権係争中。韓国名、独島トクド
鬱陵うつりょうの日本での旧称。

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共同通信ニュース用語解説 「竹島」の解説

竹島

島根県・隠岐諸島の北西約158キロ、韓国・鬱陵島ウルルンドの南東約88キロに位置し、東西二つの島と岩礁からなる。総面積は約0・2平方キロ。日本と韓国が領有権を主張し、韓国名は独島トクト。日本は1905年の閣議決定により島根県に編入した。韓国は52年に沿岸水域の主権を示す「李承晩ライン」を設定し、54年から警備隊を常駐させ実効支配している。

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精選版 日本国語大辞典 「竹島」の意味・読み・例文・類語

たけ‐しま【竹島】

  1. 島根県、隠岐諸島北西方一五七キロメートルの沖合にある島。男(西)島・女(東)島と付近の岩礁から成る。付近の海域はアジ・サバ・ワカメの好漁場。明治三八年(一九〇五)日本領土を宣言。韓国との間で領土権をめぐり係争中。松島。リアンクール礁。リアンクール岩。リヤンコ島。

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日本歴史地名大系 「竹島」の解説

竹島
たけしま

[現在地名]三島村竹島

硫黄いおう島の東方八キロ、鹿児島港から九四キロの洋上にある。琉球竹の竹林が覆う平坦な島で、周囲九・七キロ。最高峰は東部にある馬籠まごめ(二一九・九メートル)。南岸は鬼界カルデラの縁にあたり、周囲の海岸はほとんどが断崖。北方約四〇キロに薩摩半島南端の長崎ながさき鼻、西に硫黄島、南に屋久島がある。西積四・一八平方キロ。

〔古代・中世〕

「日本書紀」白雉四年(六五三)七月条によると、高田根麻呂らの乗っていた第二次遣唐使の第二船が「薩麻之曲、竹島之間」において遭難し、五人のみが竹島に漂着した。そのうちの一人門部金の知略によって島にある竹を採って筏を作り、しとけ島に至り生還、金はその功績により位を進められた。ここにみえる竹島を当島にあてる説が有力であるが、現川辺郡笠沙かささ町付近説もある。なお当地には漂着についての伝承が残る。中世は薩摩国河辺郡十二じゆうに島のうち口五くちご島に含まれていたとみられる。「海東諸国紀」「日本一鑑」には高島と記される。永禄九年(一五六六)禰寝重長が屋久島へ軍勢を派遣する際、竹島へ渡り、そこから屋久島・口永良部くちえらぶ島へ渡った(種子島家譜)。竹島のひじり大明神社には嘉吉二年(一四四二)銘の鰐口があったといい(三国名勝図会)、永禄三年の棟札があった(拾島状況録)

〔近世〕

河辺郡に属し、一島一村の扱いであった。寛永一六年(一六三九)の御分国惣高並衆中乗馬究帳(旧記雑録)によれば竹島の高九石三斗余。元禄国絵図には硫黄島のうち竹島とあり、島回三里一三町、硫黄島まで海上三里。藤井本「要用集抄」によれば正徳三年(一七一三)頃の所惣高二〇石六斗余、用夫六三。鹿児島藩船奉行支配で、鹿児島から海路二八里。享保一一年(一七二六)六月に竹島の名寄帳(三島村誌)が作成されている。同帳によれば高二〇石九斗余で、内訳は田方五畝余・高七斗九升余、畠方五町七反四畝余・高一七石五斗八升余、屋敷六反余・高二石五斗五升余、屋敷(門)九、家部三一(社家一・庄屋一・名頭七・名子二二)


竹島
たけしま

隠岐群島の北西一五七キロの日本海に浮ぶ二つの岩石島。五箇村に属する。江戸期はまつ島とよばれ、当時竹島といったのは現鬱陵うつりよう島のこと。「隠州視聴合紀」に「戌亥間行二日有松島、又一日程有竹島」、安政六年(一八五九)の「隠岐古記集」には「亥の方四十余里にして松島あり、周り一里程にして生木なき岩島といふ、又西の方七十余里にして竹島あり、古より是を磯竹島といふ、竹木繁茂して大島の由」とある。竹島(鬱陵島)へは元和四年(一六一八)伯耆国米子の大谷甚吉と村川市兵衛が、幕府から竹島渡海免許を受けて隠岐を経由して出漁しているので、竹島往復を通じて松島があることは知られていたものと思われる。

この竹島は浜田藩の竹島密貿易事件で改めて渡海禁止令が出されたが、のち竹島・松島の呼称には混乱があったようである。日本海軍水路部編纂の「水路誌」に「鬱陵島一名松島」とあり、松島の列岩は嘉永二年(一八四九)フランス船リアンコールト号が初めて発見、船名よりリアンコール列岩、略してリヤンコ島と命名したとある。明治維新後、島根県人の戸田敬義らの竹島開発出願が相次いだため、外務省は明治一三年(一八八〇)軍艦を竹島に派遣して調査、朝鮮国の領土鬱陵島であることを確認した。


竹島
たけしま

[現在地名]蒲郡市府相町 竹島

府相町の海岸から四〇〇メートルの沖にある花崗岩の島で、周囲およそ六八〇メートル、面積一・九ヘクタール。今は海岸とコンクリート橋で連結されている。この島に八百富やおとみ神社がある。祭神は市杵島姫命。養和元年(一一八一)藤原俊成の勧請によって創建されたという。「三河雀」に「西の郡村普相ふそうの里、竹島弁財天女、四石八斗、此島は江の島に似たり、塩の満干有、日本七弁天は、相州江の島、安芸の宮島、紀州天の川、江州竹生島、常州ふせ、越後の野尻、三州竹島也」とあって、昔から琵琶湖の竹生島弁天を勧請した弁天様として知られてきた。それが享保二〇年(一七三五)八月、神祇伯雅富王から神号を授けられて「八百富神」と改まった。


竹島
たけしま

[現在地名]小松市浮城町

新大工しんだいく町の北の小路とその北西にあたり、小松城の南方、三の丸を囲む薬研やげん堀に挟まれている。北・南・西は堀で、東は三の丸に続く。明治初年には小馬出こんまで町に含まれた。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では竹島分とあり、高七〇石、免五ツ(三箇国高物成帳)。文政一三年(一八三〇)の小松城図によれば、竹島と浜田はまだ町の間に「御米川下道」が湾入しており、その東端に七十間御蔵が描かれ、その周辺に木戸・柵・足軽屋敷が置かれている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「竹島」の意味・わかりやすい解説

竹島(島根県)
たけしま

日本海上、島根県の隠岐(おき)諸島の北西約85海里(約160キロメートル)にあり、韓国の鬱陵(うつりょう)島にも近い、小さな東西二つの岩島と、これに付随する数十の岩礁からなり、人の常住には適さない島。全島面積0.23平方キロメートル。英語ではLiancourt Rocks(リアンクール岩礁)という。韓国はこの島を独島(どくとう)とよび、1954年(昭和29)以来灯台、無線施設、国標等を設置するとともに警備隊を常駐させ、実力をもって占拠しているが、日本はこれを不法占拠として抗議を繰り返しており、同島の帰属をめぐって、とくに排他的経済水域設定のうえで、両国の間に紛争が続いている。日韓の国際紛争発端となったのは、1952年1月に韓国の李承晩(りしょうばん)大統領が海洋主権宣言を行い、いわゆる李承晩ラインを設け、そのなかに竹島を取り込んだことによる。日韓両国はそれぞれ、歴史的にみても国際法の観点からも、竹島が自国の固有の領土であると主張している。まず韓国は古い記録に基づいて、新羅(しらぎ)時代から鬱陵島の付属島嶼(とうしょ)として竹島を領有してきたと主張する。日本はその記録の引用に疑問を呈するとともに、17世紀に日本が80年間鬱陵島を経営したとき以来、竹島は日本に属すると反論している。また1905年(明治38)1月28日に閣議決定により竹島を領土編入するとともに、島根県告示をもって竹島を同県隠岐島司の所管と定めたことにより、日本は国際法上の領土取得の要件を満たしたと主張するのに対し、韓国は同国領土である竹島に関するそのような措置は無効であると反論している。日本は1945年(昭和20)まで実地調査や官有地としての土地台帳への記載など竹島を実効的に支配した。そして、1952年の対日平和条約で朝鮮の独立を承認したが、竹島は日本が放棄した地域のなかには含まれなかった。1965年の日韓交換公文は、外交上の経路を通じて解決されなかった紛争を、調停によって解決を図ると定めた。しかし、韓国は竹島問題が交換公文にいう紛争ではないと主張しているので、調停付託の見通しはたっていない。

 なお、竹島という名の島は愛知県や鹿児島県などに数多く存在する。

[太寿堂鼎・広部和也]

『川上健三著『竹島の領有』(1953・外務省条約局)』『川上健三著『竹島の歴史地理学的研究』(1966・古今書院)』『上地龍典著『尖閣列島と竹島』(1978・教育社)』『『竹島考證』『竹島関係文書集成』(1996・エムティ出版)』『田村清三郎著『島根県竹島の新研究』(1996・島根県総務部総務課)』『慎ヨン廈著、韓誠訳『史的解明独立(竹島)』(1997・インター出版)』『大西俊輝著『日本海と竹島――日韓領土問題』(2003・東洋出版)』『金学俊著、Hosaka Yuji訳『独立/竹島韓国の論理』(2004・論創社)』『下條正男著『竹島は日韓どちらのものか』(文春新書)』


竹島(愛知県)
たけしま

愛知県蒲郡市(がまごおりし)にある島。花崗(かこう)岩の島で標高22メートル、周囲約680メートル。島全体が竹島弁天を祀(まつ)る八百富(やおとみ)神社の境内で、社叢(しゃそう)はタブ、モチ、トベラなど238種の亜熱帯植物の自生地(国の天然記念物)になっている。本土と結ばれている長さ387メートルの竹島橋の下は砂州が延び陸繋(りくけい)島状をなし「東海の江の島」ともいわれ、潮干狩の適地。蒲郡観光の拠点でもある。海水汚濁のため、海水浴場はさらに沖合いにある三河大島へとかわった。

[伊藤郷平]



竹島(鹿児島県)
たけしま

鹿児島県薩摩(さつま)半島の南端にある開聞(かいもん)岳から南方約38キロメートルの海上に位置する小島。鹿児島郡三島村(みしまむら)に属す。周囲12.8キロメートル、面積約4.20平方キロメートル、最高点は約220メートル。火山島で、硫黄(いおう)島、黒島とともに鬼界カルデラ(きかいかるでら)の外輪部をなす。周囲はほとんどの部分で100メートル近い断崖(だんがい)で囲まれる。地質は輝石安山岩溶結凝灰岩が主体である。島全体がリュウキュウチクとよばれる竹で覆われているため、この名がある。この竹は過去の焼畑農業の跡の二次植生といわれている。そのほかにタブ、ガジュマル、アコウ、ハマヒサカキなどの亜熱帯植生もみられる。耕地は狭く、港湾設備も不十分で、農漁業など産業活動は振るわない。村役場は鹿児島市内にあり、村営「みしま丸」が往復する。人口70(2009)。

[塚田公彦]

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改訂新版 世界大百科事典 「竹島」の意味・わかりやすい解説

竹島 (たけしま)

隠岐(おき)諸島の北西157km,北緯37°09′,東経131°55′にある島。男島(西島),女島(東島)の2主島(岩石島)と十数個の岩礁からなる。面積0.23km2。島根県隠岐郡隠岐の島町に属する。しかし韓国も島の領有権を主張し,独島(トクド)と呼んでいる。近海は日本海の好漁場である。江戸初期,山陰の漁民はこの島を〈松島〉と呼び,朝鮮半島東岸沖の鬱陵(うつりよう)島を〈竹島〉と呼んでいた。1849年にフランスの捕鯨船リアンクール号がこの島をリアンクール岩と名づけ,以後は山陰の漁民も〈リャンコ島〉と呼ぶことが多かった。
執筆者:

竹島の帰属をめぐる日本・韓国間の係争問題。1618年(元和4)伯耆国(鳥取県)の大谷・村川両家が江戸幕府から竹島を拝領し漁場を開拓した。92-93年(元禄5-6)ころ,朝鮮からの出漁が盛んとなったため,幕府は対馬藩主の宗氏を通じて出漁禁止を申し入れた。これに対し朝鮮では竹島は自国の領土であると主張し交渉は決裂した。なお1836年(天保7)発覚した浜田藩の竹島事件は,浜田松原浦の廻船問屋会津屋八右衛門が,当時竹島と呼ばれていた鬱陵島を基地としての密貿易であったといわれる。
執筆者: 1904年9月25日の軍艦新高の航海日誌に〈独島〉がみえ,06年には鬱陵郡守の報告書に〈本部所属独島〉と記述された。一方,1904年9月,島根県民中井養三郎は〈リャンコ島領土編入並に貸下願〉を内・外・農商務大臣に提出した。05年1月28日の閣議はこれにこたえて〈本邦所属〉とし,政府訓令により2月22日島根県は告示第40号によりこの島を竹島とし,隠岐島司の所管とすることにし,土地台帳への掲載,漁業権者からの土地使用料の徴収などを行った。46年1月29日付のGHQ覚書により,日本から政治上,行政上分離する地域が指定されたが,竹島はこれに含まれ,かつ日本漁船の操業停止区域にも指定された。52年1月18日,李承晩ラインが設定されて独島がこのライン内に含まれたため,係争の原因がつくられた。日本の外務省は54年2月10日,口上書を韓国に送り,同島の経営が日本によってなされたこと,総司令部覚書が暫定的なものであることを主張したが,韓国側は10月28日不同意を通告,かつ灯台,無電台を建設し,官憲を常駐させ,独島戸籍を発行するようになった。65年の日韓基本条約および紛争解決に関する交換公文でもこの問題の解決は得られず,今日に至る。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「竹島」の意味・わかりやすい解説

竹島【たけしま】

島根県隠岐諸島北西の日本海上,北緯37°14′,東経131°52′にある無人の岩礁。韓国語では独島(ドクト)。男島,女島のほか十数個の岩礁があり好漁場をなす。藩政時代朝鮮領の鬱陵(うつりょう)島を竹島,五十猛(いそたけ)(磯竹とも表記される)島,竹島を松島と呼んだが,19世紀半ば英仏船の測量以後リャンコ島とも呼ばれ,呼称が混乱している。1905年,日露戦争を機に朝鮮半島の領有を目論み,日韓保護条約を進めていた大日本帝国政府は閣議でこの岩礁を日本領とし,島根県穏地(おち)郡(現,隠岐郡)五箇村(現,隠岐の島町)所属竹島とした。第2次大戦敗戦で日本はGHQの統治下に入ったがGHQの覚書には,日本から政治上,行政上分離する地域が指定され,竹島はこれに含まれている。1952年韓国が〈李承晩ライン〉設定の際に領土権を主張して〈独島(トクド)〉の領土標を立て,以後韓国が実効支配している。韓国は日本との間に領土問題は存在しないとして,この問題を国際司法の場に出すことを拒否しているが,現在も事実上は,日韓間で係争中である。2005年3月,島根県が条例で〈竹島の日〉を制定し,両国間で問題化,韓国政府は日本政府に抗議,民間でも反日運動が拡がり日韓関係は冷え込んだ。2011年3月日本の文部科学省は,2011年4月から使われる中学の地理と公民の教科書で竹島を日本領とする多くの教科書を合格とする検定結果を公表,韓国政府と韓国の世論はこれに激しく反発した。2013年8月韓国・李明博大統領が突如竹島に上陸,さらに会見で天皇の〈訪韓〉と〈謝罪〉問題に言及した。日本側はこれに強く反発し抗議。韓国の現職大統領が同島上陸に踏み切ったのははじめてである。折から日中間で尖閣諸島問題が緊迫化し,韓国は,尖閣諸島をめぐる領土問題を〈過去の日本の植民地支配・アジア侵略の歴史について真摯な反省が無い〉と主張する中国と共同歩調を取り始めた。2013年2月に就任した朴槿恵大統領はこの姿勢をさらに鮮明に打ち出し,中国・習近平主席とともに領土問題を安倍政権の〈歴史認識〉問題と直結させる考えを国際社会に強くアピール,日韓関係は冷却の一途を辿った。2015年4月外務省は,外交青書で,2004年版以降使われてきた日韓関係を〈基本的価値を共有〉するとした表現をかえ,〈最も重要な隣国〉とするにとどめた。竹島については〈日韓間には領有権をめぐる問題があるが,歴史的にも国際法上も明らかに日本固有の領土〉と明記した。→領土問題
→関連項目アジア漁業日韓漁業協定

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹島」の意味・わかりやすい解説

竹島
たけしま

島根県北東部,隠岐諸島の北西 157km(北緯 37°14′,東経 131°52′)にある日本海の孤島。隠岐の島町に属する。東島(女島),西島(男島)の二つの主島と点在する数十の小岩礁からなり,わずかに草が生えるだけの無人の岩石島で総面積 0.20km2。嘉永2(1849)年にフランス船『リアンクール』が発見したことからリアンクール岩礁 Liancourt Rocksとも呼ばれる。1905年,明治政府が日本領有を宣言,島根県に編入した。明治以前は大韓民国(韓国)のウルルン(鬱陵)島が竹島,竹島は松島と呼ばれ,両島は混同されていた。寛文7(1667)年の記録には「松島」として竹島のことが記されている。付近は豊かな漁場。韓国が領有権を主張し,1954年から実効支配を続けている。(→竹島帰属問題

竹島
たけしま

鹿児島県南部,薩摩半島南方約 40kmの海上にある火山島。最高点は馬籠山 (220m) 。口之三島の1つで,三島村に属する。農漁業がふるわないため,若年労働者の島外転出が多い。島全体がリュウキュウチクでおおわれているため,この名がある。面積 4.20km2。人口 91 (2000) 。

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デジタル大辞泉プラス 「竹島」の解説

竹島〔鹿児島県三島村〕

鹿児島県鹿児島郡三島村、硫黄島の東にある南西諸島の島。面積約4.2平方キロメートル。薩摩半島南端の佐多岬から南西約33キロメートルに位置する。その名のとおり、島は大名竹という小ぶりの竹で覆われている。

竹島〔島根県〕

島根県隠岐郡隠岐の島町、隠岐諸島の北西約158km、日本海南西部に位置する島。男島・女島の2島を中心とする島嶼群の総称。日韓両国が領有権を主張し係争中。韓国名は独島(ドクト)。

竹島〔長崎県〕

長崎県西海市、大村湾内に浮かぶ島。「竹ノ島」ともいう。面積約0.08平方キロメートル。本土からの距離は近い部分ではわずか50メートル。波静かな入り江を利用した養殖漁業が盛ん。

竹島〔熊本県天草市御所浦町〕

熊本県天草市御所浦町、御所浦島の唐木崎地区の西約3km、牧島の南西に位置する無人島。島ではヌンムリテス(新生代の大形有孔虫)の化石が発見されており、公開見学地となっている。

竹島〔鹿児島県長島町〕

鹿児島県出水郡長島町、長島北部の薄井漁港の東沖約0.2kmに位置する島。港との間は竹島大橋で結ばれている。

竹島〔熊本県天草市有明町〕

熊本県天草市有明町、天草上島の大浦漁港から北へ約0.2kmに位置する無人島。

竹島〔山口県〕

山口県山口市、秋穂湾の先に浮かぶ無人島。秋穂の八坂神社の社有地。

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世界大百科事典(旧版)内の竹島の言及

【蒲郡[市]】より

…周辺山麓部には蒲郡ミカンが栽培され,おもに中京市場へ出荷される。府相町海岸の沖合約400mに竹島があり,八百富神社の社叢は天然記念物に指定されている。竹島は現在橋で本土と結ばれている。…

【口之三島】より

…鹿児島県薩摩半島南方海上40~50kmに点在する竹島,硫黄島(鬼界ヶ島),黒島の3島の総称。合計面積31.61km2。…

【三島[村]】より

…人口513(1995)。薩摩半島南方40~50kmの海上にある口之三島(くちのみしま)(竹島,硫黄島,黒島)からなる。いずれも火山島で,なかでも硫黄島は常時噴煙を上げている。…

※「竹島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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